沖根戸山244mから高森山284.5mと四国山241m周回
2011/03/09
単独

国土地理院地図にリンク

P10:18-地蔵10:40-P206、11:25-沖根戸山12:19〜12:45-尾根下山13:45-不動堂13:53-高森山14:52-四国山-
15:40-地蔵下16:06-日野分岐16:29-二の宿16:33-車16:51
総時間6時間34分
10月27日に甲山から白ケ谷山四国山、沖根戸山周回を試みたが時間切れ敗退だった
今日は1日時間があるリベンジとでも言おうか、西畑佐瀬川で聞いた古道から、取り付き、地蔵様ルートを試して、沖根戸山から高森山、四国山と周回した。
高森山は何度か登ったが、多奈川方面からは初めてだ、取り付き登山道は知らない
ノブヤン、情報からお不動様が有った。の情報から尾根に取付いた
高森山登り返しのこのルートは面白かったが、尾根に出ると踏み跡は薄く、途中で出た踏み跡の濃いコースは別にあるようだ。又このコースの特定もしてみたい、
和歌山の木ノ本から猿坂峠を越えて多奈川西畑に向かう
国土地理院の佐瀬川集落(多奈川西畑)を過ぎた頭上に高圧線が通るその下少し手前に川が蓋をされた所に2台程度路駐できる。南に未舗装路が北に1m程度の農道風の小道が竹藪内に伸びている
この1m程度の小道が古道と前回の山行で教えてもらっていた。
南への道は軍道と呼ばれているらしい。これも古道を明治時代に広げた物だろう
下山時にこの道を帰ったが、途中に大きな石碑が道から外れた所にあった

ここに路駐↓                    この道を入る                竹藪内に道が続く
  

古道にはいると竹藪になり猪対策のネットと猪除け電圧線が張られている
乗り越えて藪内の道にはいるがルートが分からず、右尾根に這い登るが、古道は正面に伸びていたようだ
竹が倒れ歩きにくそうだった
尾根の上に小道がありそのまま進とテープが出てやはり好き者はこの小道を知っていたようだ
  
少しブッシュだが道はハッキリと有り、人が踏み固めた古道は何時までもソノ後を残すようだ
正面に立派な地蔵様が鎮座する所が古道が三叉路に成っていたのだろう
地蔵様の回りのシダを少しあざけて見やすいようにしておいた
  

地蔵様の直ぐ上が車道だ。明治の軍境界碑が有る所、電柱西ノ庄北94横に飛び出す
少し車道を歩きわずかに残った尾根に入り尾根を歩き、甲山から見えていた反射板を見てやろうと探索するが、予想地点が少し違いシダの中をウロウロ、諦めて尾根を登ると小さなピーク状の所に反射板があった
これが南海電鉄の反射板で昭和32年5月と書かれていた。
時代から想像して通信回線だろう。私が勤務していた頃は光ケーブルと通信ケーブルと無線回線が三重で結ばれ災害に備えていると聞いた事があった。和歌山市から高野町に反射されるようだ
何か懐かしいし和歌山市駅が綺麗に見渡せた

先ずP206に続く尾根ピークを特定した。先日と反対から入るが踏み跡はない
少し下ると先日歩いた踏み跡道に出て、明治の軍境界石が尾根に出る
P206には少し長い境界石が有り、この付近は秋には入れない山らしい
  

この206ピークがシダブッシュがひどくここから尾根を乗り換えて行くがシダのため地形が分からずシダの中でもがいたが
ルートにはいるとシダ下に踏み跡があった。少し苦労する所だったが ウン だれから通っている跡がある
先日自分が踏みつけた方向に有るのは自分だろうが、おなじく沖根戸山に向かっているようだ
好き者万歳の気分と驚きがあった

206の先に又東の尾根に乗り換える所もシダがひどかったが、古いカッパが落ちていた。人の形跡が出る
ここまでもそうだったがよく見ると、人の踏み跡がある
明治から昭和の終戦までコノ尾根は軍人さんが警戒し見回っていた事は容易に想像が付く
踏み跡はそうそう消える物ではないだろう

 

慎重に現在地を特定しながら進がやはり踏み跡は有るとは言え里山ブッシュ、服装は登山服ではなく作業着を着てきた
途中で軍境界石が消えていた。
見晴らしの良いピークやアップダウン、尾根角度から現在地を推測しながら沖根戸山に向かう
四国山と高森山から三角測量で現在地を取ってみると、だいたい合っていたが完全な位置はやはり掴めない
山抜けマークや尾根角度やアップダウンの地形からの地形推測が一番当たっていたようだ
木の中で現在地を知るのはやはり難しい
  

突然木にマークが出た
測量時の物か分からないが沖根戸山まで続いていた
また、おそらく道だったのだろう、石積みの跡が見られる所もあった
大阪湾が見える沖根戸山であったのだろう。大砲でも持ち上げたのか、想像は楽しい
  

沖根戸山で昼食、一人で食べるのはやはり寂しいがこんな山に好きこのんで登る人は少ないだろう
山頂から2方向に違うテープが伸びていたが、テープを無視して北に延びる一番長い尾根を下山しようと試みる
コノ尾根をdanchoさんが登りブッシュにあえいだとか、覚悟はあったが・・・・・・
同じ方向に黄色のテープが伸びていたが知らない間に無くなった
どこかの角度で降りていったのだろう。ペンキマークも同じだ
里山独特の小さな木切れ、小さな倒木、時々出るシダ、地図とニラミッコ出来ない
コンパスも同じだ。地形がおかしくなった。アラ尾根を外している
こんな事を二回して下山、
とにかく何とか目的尾根を下っているようだと
アレレ地形がおかしい、又尾根を外した。もう良いかと現在地をユックリと読むがあまり拡大してこなかった
地図は,見えた谷が見にくい
推測から位置を確定して谷を下った
石切場跡だろうか谷はゴロ石が出た
堰堤が出て尾根先に飛びだした

誰かがつけたコースを下るのが一番良いかも知れないが、地図で下るのはやはり楽しい

  

 
とにかく車道に出て不動谷口池方面林道にはいる
林道風の入り口には道標があったが、今回登ったコースがこの道標のコースかは不明だ
難しいコースではないが、マッタケ山内を通る
  
林道を歩いて行くと右手に橋が出てその先にお不動様が祀られている
 
高森山の登山口が分からない
地図からお不動様裏から尾根に登ろう。薄いがそれらしい物が感じ取れた
お不動様左手から斜面を登ると、アララ ロープが張られている
それにしても踏み跡が薄い
  
ロープが終わる所に道が出た
これはハッキリと踏まれている。道成りに登ると赤いペンキで印が出るが、道はハッキリと有り、古道だろうか、
ハッキリと石畳跡が残った部分もあり、又昭和30年後半のホンダスーパーカブがここに道が有った事を示していた
地図を見ると、荒れ地マーク、と言う事はここは整地された時代があったと言う事だろう
石切場跡と見たがサテ
道成りに登ると、トラロープの補助ロープがありマッタケ山に入る
立ち入り禁止の看板とロープが張られている
この付近では印が無くなり、地図で方向を探る
踏み跡はどれか分からずとにかくロープ沿いの踏み跡を登る
シダが有るが歩くに問題はない
  
踏み跡なりに登るとマークのある踏み跡に出た
これが登山道らしい
後はルンルンと山頂に向かうが踏み後はシッカリとしている
  
山頂に出た
山歩隊で作った腰掛けや机はまだ使えそうだが、机は痛みが激しい

 
  
ここから四国山までは管理されたハイキング道、道標や案内に従うと良いだろう
四国山で241m地点を特定して、車道を南に歩き二の宿跡から軍道には入る
途中で地蔵様地点を記録して、車道から二の宿、日野の光福寺分岐を特定した


  
軍道と呼ばれる道のすぐ山中に何かの碑が有ったが意味不明だ
  
 
長々と書いたが、里山の周回は面白いがこの付近は秋は歩けない
真冬か早春の3月が歩き頃かも知れない
とにかく満足のバリエーションだった
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ショウタンの山歩録地図について
「この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図200000(地図
   画像)、数値地図50000(地図画像)、数値地図25000(地図画像)、数値地図50mメッシュ
   (標高)、数値地図10mメッシュ(火山標高)及び数値地図5mメッシュ(標高)を使用した。
   (承認番号 平21業使、第652号)」