登山道点検
大関橋駐車場から大福山、観音山周回
2021/0824
単独
 地形図

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 和歌山市では2021/08/08日曜日に集中豪雨が有りました
紀泉高原ルートでは和歌山市からの登山口は多く、特に千手川に沿うコースの荒れようはひどい
千手川にかかる大関橋駐車場(無料広場)から歩いてみた

すぐ先で川を渡り尾根を登る鉄塔道コース案内が有り、その先20m程度で左側に登山口入り口がある
今日はそこに下山予定だ

川沿いに市道を登る
和歌山市で奥地の村の一つ、畑地区の生活道だ
住民は年々減少しているが住みよい集落です
  

初めて民家が見える裏山は無事でしたが、民家裏の牛首山 メッソハラ の山越えはバリエーションルートで今は踏み跡すらない
右が、牛首山、左がメッソハラ、山名は無いが山肌に名が残る

途中に、椎の木地蔵、小川地蔵、牛神社が祀られている
昭和50年代までは墓の谷行者堂への参詣が多く賑やかの通行が有った
  

何軒かは無住に成り、取り壊されその跡に古い石表や生活跡が残されている
  

碾臼の台座や石の道標、手水鉢
歴史を見ながら歩けば楽しい
小さな丁石も有ったが、一つ消え二つ消え今はその位置を知ることは難しい

牛神社から道は林道に成る
今回の豪雨はここから奥に災害が出た
  

林道は通行止めで通るのは自己責任だ
今も、墓の谷行者堂にお参りする参詣者はいる所から、修復は急がれると思うが、コロナなどで市も大変だから用水路以外の点検は遅れそうだ
今日も、用水路の点検で市の職員が入っていた。
道際のヤブランは綺麗だ。
道は荒れているが歩くに問題はない

途中の橋は何とか持ちこたえたが、修復間もなかった橋が宙に浮いた格好になっていた
渡れたが、渡るには自己責任だ
   
鉄砲水跡 橋の様子 流された林道

井関峠と墓の谷行者堂分岐に有る井関橋、ここから井関峠に登る
墓の谷林道は、先日点検したが、土砂崩れが道をふさいでいた所が有った
一般的には通行はできない。別記事で書きます
 井関橋分岐

井関橋分岐は墓の谷18丁と呼ばれる所ですが、18丁石は見つからない
ここにある旧環境庁看板には、雲山峰は天下森と呼ばれていたことが記されている

 

井関峠に向かう
入り口に有った土砂崩落で通行止めのゲートは流されて無かった
大福の名水に行くまで、道路肩が少し抜けていたが問題はない
元々荒れていたが、このルートは紀泉高原では必要なコースです
  

大福の名水は、何時も一定量の水が出る
私に紀泉高原の事を教えてくださった、地元の西川翁、生誕106歳は生存中に水は枯れたことが無いと教えてくれた
又、井関峠までの林道は鹿路坂(ろくろさか)の名が有ることも教えてくれた

道の表土が流され石が浮き出たゴロゴロ道は歩きにくいが通行は可能だ
登山者が戻れば踏み跡が出来歩きよくなって行くだろうが、今はゴロゴロ 
何年か前の台風で、斜面崩落が有り道をふさぐが、ロープ補助等で通行が可能だが自己責任だ
小さな倒木や、鉄砲水の谷は土石が流されたりしていたが、この道はこんなものか
  

井関峠の手前にある井関の地蔵様は無事だ
今年は雨の為か少し草が生えこんでいる
井関峠の東屋休憩所で一休みだ
  

井関峠から大福山までの尾根は、西尾根道と言われていたが、その名は消えた
今も整備状態は良い
  

バベ尾分岐は今も好きものや読図での山行に利用されているとか
明治から昭和の終戦頃まで有った西谷池上の、師範学校訓練校舎跡への通行は制限されていた
面白いコースなおだが、機会を見て行ってみたい

途中に有る、せんぽうヶ岳東とせんぽうが岳西は、地元の古老や私たち地元の古い登山者は、せんぽうヶ岳東は、くじほうヶ岳、せんぽうヶ岳西は
単にクジホウケダケと呼ぶ
何時の頃からか場所が変わったという
  

大福山は静かな山頂だった
先着の四人様は静かに下山して行った

行動食を取り下山にかかる

下山は六十谷道だ
六十谷道とは、大同寺から大福山までを言う
大福山は秀吉の紀州攻め迄、大同寺の奥の院として祀られていた寺が有ったという
書き物は、昭和の大道寺火災で失ったとか 

六十谷道を下り始めて直ぐに地蔵祠、次に淡輪方面分岐、奥辺峠と整備されている
淡輪方面は好きもの道だが今も残る
八王子分岐は写真は無い
  

地蔵前休憩椅子  淡輪分岐  奥辺峠分岐

 

水吞と呼ばれる所で道の崩落が有ったようだが、道整備してくださる方たちが直ぐに通行を可能にしてくれた

道は美しい。下の団地の方が奉仕下さる整備道だ

途中には休憩椅子が多く、高齢者もあそこ迄、ここまでと椅子を目指して登る方もある
健康歩きコースだ

岩神山分岐から30m位先で観音峰へのコース分岐です
  

水吞の謂れが書かれている   岩神山分岐    観音峰、観音山分岐

観音山は、直川観音から大福山に登るルートとして使われていたようだ。
その古い道標が今も残る
私が初めて観音山を通ったのが50年前ごろ、その時にすでにあった
個人で作った道標と聞いた


大規模ソーラー発電の開発話だ出て、山を購入した会社が通行を禁じたここ数年で、少しルートが生えこんでいる
通行は自己責任だが、尾根を下るルートは私は好きだ
途中に有る見晴らし台からは急傾斜ですが、これが面白い
   

観音峰最高所(観音山)258m            境界石                          東観音山

  

古い道標とアンテナ尾分岐道標、アンテナ尾は通行できるかは不明 見晴らし台

見晴らし台から急傾斜に成る
踏み跡とテープだよりで下るが道はハッキリと残っている
写真の道標で林道に出る

そのまま林道を下るもよし。写真の位置から更に斜面を下るも良い
   

大関橋P上200m程度に出る

  

今は登山者は少ない
コロナの事もあり、単独登山者が目立つようだ
私も、挨拶は頭を下げるのみ、会話は少なく、知人に合ってもコロナですからと間隔を開け挨拶をかわす
足を痛めている私、少し無理をしたせいか痛み出した足
バイクの下に隠れていたカエルが、お帰りと飛び出した
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