大関橋から井関峠、鳥取の池、雲山峰周回 2024/10/24 単独 |
大関橋から井関峠に登り鳥取池に向かう 途中から鳥取池の周回道に入り、栄谷池広場から、悪名高い傷んだ急階段を登り、紀泉高原、雲山峰を超えて、青少年の森、六角堂、娘地蔵と、大関橋と周回した スタートが遅く、曇って日の短い時期にしては少し欲張った ヤマレコ記事も埋め込んでおきます 記事はヤマレコ記事の右下、ヤマレコ記事へリンクをクリックすればヤマレコ記事に飛びます |
天気が悪く大関橋には車は少ない 道横の野草などを見ながらゆっくりと登る 外来種のトキワツユクサがちらほらと見え勢力を伸ばしそうだ ヨメナは多く、他の草にも負けずにしっかりと咲いている 椎の木地蔵、小川地蔵と見やり、牛神さんに着くが誰もいない やブタバコは面白い形だが、粘々の引っ付き虫は生が悪い、センニンソウうは時季外れで満開だ 途中で毎日歩きの方が下ってきた いつもより登山らしい服装で歩いていれば、今日はどちらえへと声がけをもらう 井関橋から井関峠に向かう ハンターが多かったころは車が峠に登れるほど道が良かったが、今はゴロゴロ道で落石が道の半分を埋めるほどの所もある それでも登山者は細々と利用するコースだ この坂の名は 鹿路道(ろくろみち)と言われていたことを知る方は少ないだろう 途中の湧水を大福の名水と呼ばれるようになったころに古老に聞けば、古老の年齢から推測して80年は湧き続けているといった それから20年は経つだろうから、100年は枯れない、何人の旅人の喉をうるわせたのだろうか 荒れた道に、悪いことは重なりヤマヌケが起こった ボランティアが修復して通れるが、又痛みが出ている その先で、倒木も出た 足元注意で井関峠に登る 井関の地蔵が祀られている その横に、江戸時代に改良されたというコンギクがさく 数は減らしているが力強い花だ 峠ゲートも痛み、イノシシが土を耕す トレラン者が駆け上がってゆく 私は鳥取池へと下る 鳥取池への林道から、俎石山や雲山峰へと分岐の道標が有る 私は、鳥取池広場の道標から行けの東側の遊歩道にと入る 揺れる橋を渡るが、その足元に少し様子が違う野菊が咲いていた ノコンギクかもと葉をこすれば少しザラツクからヨメナでは無いかもと思った 橋を渡って道を見るがアララ荒れていた 道標の鳥取池広場は見えにくい 広場はどうやら鳥取池の湖畔に降りる所という感じだった 子供たちだけでは少し危険かも 道標で道を廻るが、道は荒れた感じが多い 用心用心と栄谷に出る ここからまた荒れた栄谷から紀泉高原縦走路まで登る 途中に栄谷池広場が出るが、池は底抜けでその後は無い。池は無くなっている この道も荒れている 境谷池広場で少し休憩と行動食をいれた |
ここからは、誰もが厳しいという急階段の荒れた道だ イノシシが掘り返したトラバース道は滑り注意だ どなたかが登ったのか真新しい靴跡があった 休み休みのゆっくり登り、足がブルブルとふるえそうだ 弱くなった足に嘆いても強くはならない 杖でバランスを取りながら段差の階段をのぼる 高圧線下を伐採して大阪湾が良く見える 関空の離着陸は一時期よりは少ないようだが、インバウンドで賑わっているという 外国の山にも行きたいが、体力に自信がない 大汗を流して縦走路に出た 休憩する時間は無い 雲山峰まで二カ所の登りが待つ 書道家に書いてもらった、雲山峰の三角点標柱は年季が入ってきた 点名は天下森で読みはアメガモリだ 古くから里の雨乞いの山でお堂迄あったそうな 落合から行雲山峰を超えて雲山峰に来る道はわずかに残るが完全な廃道だ 休息を兼ねて昼食にパンをかじる 地蔵山は立ち寄らない 青少年の森は静かだ、何人かは来られたのか足跡が複数あった いつもより早く歩くが、秋はつるべ落としで日が暮れる 六角堂、紀伊分岐、行者堂分岐、娘地蔵と急げー コウヤボウキは満開だ 境界石は暗く字が見えない 海老峠で休みたいが急げーと下る 青少年の森からはほぼ下りだが、最後に距離100mばかしの登りが有る これはいつも苦しい登り返しと感じる この看板は噓を言わない 鉄塔分岐から 傾斜の少ない上人山側に下り谷から大関橋に向かう 道標はコマめ¥メにある 水路を超える所は用心用人、慎重に下り 大関橋に着いた 薄暗い谷間だ 一台の車と私のスクーターが有ったのみだ 行けるだろうで行くのはやはり無理の利かない年では失敗登山だ 反省 |
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