高森山と四国山
2014/11/24
ショウタン

登山口から高森山1時間25分
高森山から四国山50分
四国山から森林公園の道25分
車道歩き30分
リハビリ登山です。ビスタリーと歩きました
総時間3時間15分
紀泉山脈が紀淡海峡に突き出した和歌山と大阪の境界に有る山が、高森山でGPS等が無いころは、漁師や小船が山立てをする大事な山だった。
いまどき山立てをする漁師はいないだろうが、若かりし頃船つりを、加太や紀淡海峡で楽しんだ頃は、山立てで釣り場を探った記憶が新しい
又、紀淡海峡の友が島や高森山周辺は、江戸や明治、昭和と大阪湾に進入する敵戦艦を打ち沈めるための要塞が有ったところで、いまだベールに包まれた要塞設備の全容が分からない。マニアや歴史好きな人達が、この山域に入り、砲台や弾薬小屋跡を探している
国立公園加太海岸、城ヶ崎を見る
阿振川に沿って森林公園道に入るが、その入り口に古い古道があったのか、二つの石柱が立っている
軍道の入り口に行くまでに古い排水設備がある。コンクリートを使っているところから、昭和のものだろうがこの上のどこかに要塞が有ったのだろう。
森林道入り口から800m程度で軍道入り口が有る
  
軍道入り口に路駐してゴロ石がゴロゴロの道に入る

入って直ぐに地蔵か墓か分からないが、五輪の頭の部分が道に転がっていた
軍道も古道を拡張したものかもしれない。入り口の石柱にある国光大師遺?大川?二十丁と有るのは、この道から山を越えたものだったのだろう
軍設備が出来山越えが出来なくなったことが伺える。
途中にこんな山中にと思うところに小さな橋があり、その先で山越えの道が大川方面に伸びている
国土地理院新マップには、その向こうに道が書かれ、行ってみたい気が走ったが、今日はリハビリリハビリと痛めた腰の回復運動の一環だ
 
この道を登っていくと、やたらと軍設備の跡があり、負の遺産として整備しても良いのではと思うものがいっぱいだ
  
軍道はゴロ石が有るが状態よく残り、今もすき物が、高森山に登っているようだ
ごく一部はブッシュ状態だが、踏み跡がはっきりとあり、地図などまるで見なかった
道なりに登ればハイキング道と出合う、ハイキング看板にしたがって登ればいい
 
勝手看板も公園道標も今は痛み、状態が悪いが方向を間違わない限り、時々はシッカリした看板が出る
山頂に出た
 
大阪湾から淡路島の見晴らしが抜群で山頂には三等三角点、三角山が鎮座する
三角点の上に高森山と彫られた石が置かれていた。三角山と書いてほしいなー
点の記を少し書いてみよう

等級種別 三等三角点、基準点名 三角山
北緯 34°17′50″.0128 東経135°05′48″.7738 標高284.52
選点 明治36年6月4日 埋票 ? 観測 昭和26年3月3日
所在地 大阪府岬町多奈川谷川3348-1
平成22年1月5日基準点現状調査
点の記からこの山の俗称は 三角山と言うことが分かる。

途中でこのコースを私に教えてくれた山歩隊の仲間に長電話をしたり、休憩したりとコースタイムは当てにならないが、登山口から1時間25分かかった。
高森山から四国山には余り道標が無いが、コースははっきりと有る。
ハイキング地図から方向を知るか、国土地理院地図を持とう。もちろんコンパスは必携だ
道なりに進むと見晴らし地点があり、紀泉山脈が見張らせる

 
広い急坂が出て上り切ると朽ちた展望台があるが登れない
その先に山頂広場があり、東屋などがある

ここから下ることも出来るが、一頑張りで四国山展望台だ
ハイキング道は少し見難い

地図上の四国山は少し東の241mピークだが、展望台に四国山と有る。標高も同じくらいの240数メートルだ
ここからの夕日は最高だが、あまりゆっくりは出来ない。適当に紀淡海峡の景色を楽しみユックリト休憩だ
 
いつもなら地図四国山下の駐車場に出るが、初めて冬の丘経由で下山した
よく整備された道だが、自然のままで登山気分が出る尾根だ

展望台北すぐを下ってゆく

ウバメガシのトンネルが気分がいい
 
尾根先は急傾斜で慎重に下ったが、ズル、スッテン、転んだ
尾根先は写真の登山口に出た。
取り付きには案内は無い
 
右写真看板裏にでた

森林公園の道をテクテクと車まで帰った。
この時期日暮れは早い。
薄暗い中に車が待っていた
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