川上村黒滝から
四寸岩山バリエーション
2016/11/07
二人


コースタイム
黒滝、08:17-マガリ谷09:10〜09:18-672m地点10:08-大津古谷分岐11:38-四寸岩山12:22
下山
四寸岩山13:05-a地点13:51-b地点14:08-@地点15:10-車道16:31-黒滝16:53
総時間8時間36分
川上村黒滝から青根ヶ峰ハイキング道に入り、途中のマガリ谷から四寸岩山を目指した
急登や小さな馬酔木が生えこんだ所もあるが、全体的に尾根は美しい
只、下山時に出た植林囲いの出るピークで(@地点)、コンパス角と尾根がはっきりと分からなくチョット??と二人は地図を見た
今日のバリエーションは、読図訓練で少し真面目な地図読みだった
川上村大滝地区は、土倉庄三郎で有名な地区で、国道沿いは単なる所だが、万葉集に歌われる小倉山(八幡山)や鎧岩の土倉翁造林頌徳記念の白い文字に気付く方も多いだろう。
郵便局前の地区民用駐車場に車をデポさせていただき、村中の道を青根ヶ峰ハイキングコースに入ってゆく
村中は本当に雰囲気が良く、土倉氏の遺徳が偲ばれる雰囲気です
  
小さな地区には似合わないような立派な竜泉寺下を通り、最後の家から取り付きがあるという小倉山登山口を見ながら車道を歩く
振り返れば白倉山の岩陵ピークが綺麗だ
蜻蛉の滝からの車道分岐を見やり車道を歩きながら、今日のバリエーション下山地点を探しながら登った
下山できる地点は少なく間違えれば懸垂下降かななどと考える。
小さな谷は降り良い様だ。水道施設がある手前の小谷が先ず第一候補だ。
 第一候補地点
浄水施設の裏に蜻蛉の滝側に下るハイキングルートが有る
舗装が終わり2m足らずのハイキング道に入ってゆくが、歩き良い
只、木製橋は傷みつつある
 
蜻蛉の滝から青根ヶ峰二度ほど登った経験から、四寸岩山バリエーションコースを暖めていた
今回は、マガリ谷から取り付いたが、トビロ谷の尾根先からも頭をよぎっている
登ってゆくと、マガリ谷には記憶通り、林道風道が谷沿いに伸びる
  
マガリ谷の沢水は、浄水設備があったのだろう,その点検道だろうか最初は状態が良い
入り口で服装調整をして谷道に入った。
道は直ぐに荒れだしたが、通に問題は無く、キンバ道跡か、木道風に整備されていた跡が出る
マガリ谷沢は美しい沢だ
  
谷が分岐する地点に朽ちた橋が有ったが通るに勇気が要る朽ち方で、右谷の川を越えた
尾根先での分岐は、左右どちらにも道が有るようだが、右谷に入る、道跡は薄いが時々は道がはっきりと出る
大津古谷沿いのキンバ道を登ったときに見た松八山の看板が有る。
  
状態はよくないが、谷沿いに道が伸びるが、地形図から谷を登るには厳しいと尾根に登る事にした
測量点672m地点下だろうと読み斜面を登る
  
右岸側に渡り                    左岸に渡るところ先から斜面を登る
少し厳しい斜面を動物道を探しながら登りきり、地形のみで672m地点を越えていると見たショウタンに、尾根角度が少しオカシイと指摘するKAZUMIさん。ムムム、ショウタンも地形と尾根角度を比べると、マダマダ672m地点下だった
  
672m地点でエアリアマップから山座を同定して、鉄塔や青根ヶ峰、展望を楽しんだ鉄塔等の記憶から、現在地を探ると672m地点であることは間違いは無いと二人は納得だ。
尾根の状態は良い、四寸岩山に12時に登らなければ、夕暮れタイムアウトと見ていたショウタン、少し厳しいかと感じ出していた
50m程度の登攀は厳しい所もあると地形図を読む、小さな馬酔木が邪魔をする所も有る。
平均写真のような尾根で、ルンルン
 
ところが、主尾根とも言うべき尾根に突き上げる手前の急登は、攀登る感覚の傾斜だ。小岩を登ろうか巻こうか、
左手に動物道を感じ巻いたが、やはり途中から小岩上に出るコースを取った
岩上は雑木が、KZUMIさんは木に挟まれ、ショウタン挟まれたと笑っていた
 
直ぐ上が主尾根か、植林との境は雑木で、強大なミズナラ生えていた(地図b地点)
  
好き者はいるものです。ここに明らかに登山者が残した布切れのマークが有った。
尾根を四寸岩山側に登る。
足下が悪かったが直ぐに尾根の状態が良くなった
  
トビロ谷の尾根分岐を特定して、急坂を登りきれば後は状態のよい松八山の尾根だ
記憶の鈴マークテープを見つけ、後少しだと元気付けられるが、やはり12時は無理と判断したが、12時過ぎだろうと山頂に行く事を決断した
  
大津古谷分岐には鈴マークが有り、後少しで奥駈道だ
山師達の焚き火跡は、桧を並べその上で火を燃やしている。
雪や濡れた処での火の炊き方の基本で山火事が防止できる
奥駈道に突き上げる。
作業用のモノレールが有る。ここにも鈴マークが有る
 
大峰奥駈道に出ればもうルンルン、山頂に急いだ
  
                                                    ↑四寸岩の間を通り山頂に出た
  
山頂の三角点は二等三角点で心見の峠と言う点名だ。
山頂の峠名が心見ノ峠か、マタマタ山頂近くにその名の峠が有ったか私には分からない
今は山頂を四寸岩山と呼ぶ
地理院点の記から
北緯 34°19′15″.2484東経135°54′35″.7640 標高1235.85
山頂は紅葉だ。
植林の山々は霞の山襞を見せる
エアリアマップから山座を同定する。
アレが大峰山、弥山、扇形山、姿のいいのは岩屋峰、なかなか山座同定は難しい
少し時間を掛けすぎた山頂での昼食だ
下山は急いだが読図を勉強するという目的だ。
先ず、アザミ岳を特定して、登った尾根を下る
 
  
尾根分岐は鈴マークとモノレールがある。先ず間違わないだろう
大津古谷分岐を見て、小ピークに登るが、ここに作業用マークが有るが、登ったときの記憶とは違うように感じ、コンパスで角度を取るが微妙にコンパスがずれる??(a地点)
兎に角急斜面を30mばかし下って尾根をはかると角度が合った。
ちょっとした事で方向取りを間違いそうだった
 
小さな岩を登りきった処から(b地点)、下山りは初めてだ、地形図を左手に持ち、必要以上にコンパスを取りながら下る
アルバイトしていると時間は無い、この時期4時下山は絶対だ
 小岩を突き上げた地点の尾根の特徴有る木

もうマークなどは無い、どうしても状態のいいほうに釣り込まれやすい。尾根分岐では必ず二人の意見が一致するまで現在地を探りながら下った。
  
小さなピーク、隠れたピーク、地形、慎重だ、時間的に厳しい
大峰は植林といえども必ず道に下れるという事は無い。
今日も下山口を確定していたが、さて上手くそこに降りられるか??
地形的に難しい分岐@地点で、小ピークを巻き込めば簡単と巻いたが、アラコンパスの指す方向に地形の合う尾根が無く
やはり危険と小ピークに登り角度をあわす。
二人の角度が合うが、尾根は見えない。
しかも植林ゲートがあり、中に入ればいいのか縁を巻くのがいいのか?兎に角中に入ってみたが、どうも目的尾根には行けないようで外に出た
どう考えても現在地は合っている
地形から谷越えも覚悟で少し方向をずらして、ブッシュの少ない所を選び次の尾根に向かった
やはり尾根が出て、尾根に乗り角度をあわせると、ピンポーン
と一歩踏み出したところで、アセビの木の下の倒木に足を取られ思いっきり転んだ
油断大敵だ。
  
下ってゆくと黄色テープのマークが出た
明らかに登山者テープだ。
好き者の選ぶ尾根は同じと微笑み下ると、尾根左手に道を感じた
この尾根を下ると尾根先は下れないことは明らかで、どこかで右手斜面を目的の谷に下らなければ行けないと読んでいた
オッ、ソマ道だこれを下れば安全に下れると、コンパスを取らず道跡を下った
ソマ道風が広い道に成り、オヨヨ、これは木を出したキンバ道だろうとの確信を持った
  
思う方向に道は斜面を通る
後100m程度下にハイキング道が有るはずと下ると、車道らしい物が見え、ここだと小さな尾根を下り、谷側に降りて下れば、
これはチョットまぐれだが、目的にしていた小さな谷にピタリと下れた
  
下った谷                       浄水施設手前                      ここに出た
後は問題の無い車道、
竜泉寺の墓地に土倉家の墓が有るとか、小さな村に似合わない集会所、多分土倉氏が残した遺産ではと話しながら郵便局前に出た
 

鎧岩の下の小さな連滝が黒滝の名の起こりと聞いたがさてこの連滝か??
黒滝といえば土倉庄三郎、屋敷跡に立つ銅像と鎧岩にかかれた土倉翁造林頌徳の文字から、少しだが土倉氏の遺徳を書き写しておきました

 
黒滝土倉屋敷跡に建つ土倉庄三郎翁銅像、

土倉庄三郎翁
土倉翁は(1840〜1917)天保11年大崎に生まれる
「土倉式造林法」を確立し、秋田杉、木曽桧と並んで日本三大人工美林として、有名な吉野杉の元を築き、全国各地、遠くは台湾にまでその造林指導を広められ「日本の造林王」と称された偉人である
翁は自分の利益の1/3は国や社会に、1/3は教育に、1/3は事業にとの心情を基に社会事業にも膨大な資材を投じ道路や河川の改修をはじめ、日本赤十字社への寄付などその事業は、各地方、各方面に及んでいる
翁は教育にも深い理解と協力を惜しまず同志社大学、日本女子大学の創設は翁の貢による所といって過言では無い
また翁の思想は自由民権運動を支え、その財力は自由党の台所と言われ、板垣退助の欧州視察の費用を出資した話は有名である
山村の財政基盤を確立するために、村有林の造林を行い、今日の村の礎を築いた
翁は木に巻きついた蔓を見るとかわいそうだとそれが他人の山であろうと、蔓を切ったと言われるように木をこよなく愛した人で
その心は今も人々の心に受け継がれている

以上、銅像前の説明より
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