有田川町、大峯城山(だいほうじょう)と次の滝
2011/0809
単独

周回時間
10:15〜14:37
4時間22分
生石山に興味が湧き、少しずつこの山域を楽しもうと、今日も生石山の南にある。大峯を散策した
この山の南に、明治の始め城山村が生まれた(二川村・東大谷村・境川村・日物川村の合併)城山とはどの城を取ったのか解らないが、二ツの城とつく三角点がこの旧城山村にある
大峯城(だいほうじょう)と天城山(てんしろやま)だ。二ツの山を登る計画だったが、暑くって、大峯城のみの登山となってしまった
天城山は機会を見て登ってみたい
下山後、滝なら涼しいだろうと、那智の滝に継ぐ高さだとのことで、名が付いたという、次の滝を見学した
R480の二川ダム下の小学校は城山西小学校と、城山村の名前が残る
で肝心の城山とは何処をさすか、天城山の天城を指すのか、マタマタ大峯城を指すのか、私には解らないが、地元民は大峯城の山頂を、城山と呼んでいる。コノ尾根のルートに、見たことのない石仏が祀られていることから、由緒があるのだろう
 石仏曼陀羅か???
取り付きは大月峠からピストンも良いのだろうが、少し周回と、二川ダムの駐車場に車を止め、直ぐ北のトンネル上から尾根を登ってみた。キットルートがあると確信を持っていたが
  
廃業の民宿横の小さな岩に取り付き、トンネル上に登ると、アララ 道はトンネル向こうから尾根に登っていた
どうやら、トンネルのない時代の物らしい
尾根には、小道が延びるが、山頂まで続かなかった
暑い 本当に一歩一歩、熱中症に注意が要る
  
尾根を登りきるが、ほんの30mばかし、アララどうしようのブッシュ、マッ良いかと、ブッシュを漕ぐと、下に林道が出た ヤレヤレ
地図に出る林道に出て、ダート林道を歩くと、桜の植樹がある、祠が三つ出た
綺麗に整理された公園状の所もあった
  
何だろう 弘法伝説の有るこの地域、お大師さんを祀っているのだろうか
この付近から白馬の峰は美しい
林道から大峯城山の尾根に入り尾根中央に鉄塔管理道が走る
ルンルンと歩くが、暑い もう下界は35度の猛暑日だろう                 大峰山と書かれていた↓
  
山頂は山城らしい形を残している
その中央に三等三角点、大峯城が鎮座していた
 

等級種別 三等三角点 基準点名 大峯城(だいほうじょう
北緯34°04′41″.1486 東経135°20′07″.5622 標高 687.73 選点 明治36年6月10日
所在地 和歌山県有田郡有田川町大字小原字加茂谷631番5

とにかく暑い
大月峠の子安地蔵で一休み、暑くって昼ご飯も食べる気がしない
  

この地蔵寺、少し前まで露店が出るにぎわいだったとか、荷物を担ぎ露店商が登ってきたとか
蛇模様の字を書く、商人が人気があったとか
又、山城の中学生は遠足と言えば、生石山、途中の地蔵寺で一休みしたという
何時かそのルートで、生石山に登ってみたい
林道を大月に下るが、とにかく暑い
アクエリヤス2Lを持っているが、そのままでは逆に喉渇きを感じる
いつもは、キャメリーバックに氷を入れ、冷たく冷やすが、少し油断した
とにかく、大月に下る
途中に、取り水のある所から、水が湧き出ている
痛いくらいの冷水、お助け水とはこのことだろう
トンネルを越え、車に帰った時は、クーラーと先ず車のエンジンをかけた
 
二川でコーラを一気飲みして、大月峠から大薗に向かう
有名な滝だ、道標は有るが駐車スペースがない
道標に従って、小道を入ると、水道設備の前に、二台程度車が置けるが、地元民が置いていることが多いという
マッ何とかナルだろう
次の道標が出る手前に小さな駐車スペースがある
一汗流す頃に、整備された見晴台がある。正面に次の滝が一筋に落ちるが、那智の次とはチト大げさだが、昔人は、話しに聞く那智の滝を想像して、そう名付けたのだろう。ロマンだ
 
周囲は岩稜の山、登ってみたい度が増すが、暑さがその気を萎えさす
周回路が出来ていた
銚子口と滝壺を廻ったが秋なら紅葉が春なら新芽が、写真家の良いアングルが取れる滝だった

落ち口は見事なゴルジュ
 

滝見台はオーバーハングの岩下だ
 

  滝壺正面から見た
岩稜の山頂に出るコースも有る様だったが、それがコースと見分けられる人のみが行けるだろう
厳しそうだ
周回路を下山して帰路につくが、マタマタ季節を変えて、探索したい 山城村付近だった
 

総時間 1時間
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ショウタンの山歩録地図について
「この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図200000(地図
   画像)、数値地図50000(地図画像)、数値地図25000(地図画像)、数値地図50mメッシュ
   (標高)、数値地図10mメッシュ(火山標高)及び数値地図5mメッシュ(標高)を使用した。
   (承認番号 平23業使、第2号)」