高野山古道
北宿、南宿、天空の道と護摩の壇

コースタイム
登り
9時35分〜12時45分
下山
13時19分〜15時45分
雪の少ない今年は高野山の古道探索が歩きよいだろうと、高野山付近をウロウロと歩いている
今日の道も一度は歩いたが、その時、たまがわ峡を守る会の方たちに案内されたものだ
その時感動した天空に付けられたような小道や、行けなかった南宿(みなみやどり)、三角点、南宿を久々にS子ちゃんと探索した
温泉、いやしの湯がある北宿(きたやどり)は橋本市の秘境だろう。
玉川峡の切り立った山間部の川沿いにあるいやしの湯の、営業日は金土日月の四日だそうだ
温泉下の橋横の凸地に路駐して写真の橋を渡り南宿に向かう
 
何処から、北と南に分けたのか?地形的には南北ではない宿地区、この宿の名の起こりは、弓矢の矢を作っていた地区で、矢は矢竹を軸に作られたものが一般的だったころ、高野山の領地だった宿地区は高野山から矢作りの許可か命で、矢竹を取って矢を作る。事から矢作りが鈍って宿りになったそうな。事を聞いた事がある。
とにかく古くから由緒ある地区だ。

橋を渡れば工事中で、仮歩道を登り古道に向かう。同じ北宿りから豆街道と呼ばれる玉川峡沿いの道を杖ヶ藪地区まで歩いた事がある

豆街道に入らず、民家上の植林内に向かえば小道が断崖の上に作られている
  
鉄塔管理道の道標に↑沿ってはいる。植林内をクネクネ登ると、断崖の道に成る

 

ネパールで味わったような切り立った岩を削り付けられた道は、モウ天空の道と呼ぶ以外にない
此処を農作業のため、耕運機や脱穀機を北宿から運んだ道だそうだ。北宿りと南宿りを結んだ道だ                          
耕運機を落す事故も有ったとか、脱穀機を分解して運び、田で組み立てたとか、すごい動力で田や畑で耕作していた事を聞いた
途中に、馬覗きの岩、と呼ばれる見晴らし場所があり、北宿りの山沿いの集落(無住)や七霞山が見張らせる
 
高所恐怖症のショウタンは岩の際には立てない
S子ちゃんは、わー綺麗とその先に立ち感動していた。今日の見晴らしは此処一箇所だ    
前回歩いた時は木で仮橋が作られていたが、鉄塔管理道を兼ねた古道は鉄製の橋に変わっていた
堀割峠、と呼ばれる峠に出る。此処で地図を読み現在地を探る。
前回は下って来た。今日は此処から南宿に向かう。堀割峠の北鉄塔は34号鉄塔で一つのランドマークだ
堀割峠には字の消えかかった道標があり、以前はハイキング道か登山道であった事がうかがえ、高野山、黒河峠までその名残があるが、今はその役目を終えている。
  
堀割峠から管理道道標、33号鉄塔(南宿り)方面に入る。
余りのルンルン道に地図をおろそかにして、33号鉄塔が出るまで、田の跡等に話が弾み現在地を気にしなかった
  
これがいけなかった。

33号鉄塔が出て、ここで初めて現在地を気にかけるが、アララ、此処は何処、兎に角高圧鉄塔のある付近としか地図は読めない
小さな尾根や、道に角度をあわすが確信が持てない。
読図力の挙げたS子ちゃん、此処ではと?地図を示す。ジャ、カンニングとスマホとアイホンに入れたGPSで二人は現在地をカンニングだ
S子ちゃん、流石のピンポーン、此処までにあったはずの家マークに家が無く、見落としたのかと、モウ一つの家マークにコンパスを取って、南宿をウロウロ、その先に廃屋が出たが、極最近までお住まいの方が居られたようだ
  
田の耕作の証、藁が屋根裏に積まれていた。その先の民家にも行ってみたが、家は無くその跡と小屋が有った
地図に載る小道は残り、少し道探索だ。
33号鉄塔まで戻り再度地図を見て古道を探る
鉄塔管理の為だろうか、小道の状態は良い、
所が目的の道は谷中の廃田内を通っているようだ。
道跡など何処を探しても無い
その先の32号鉄塔に向かうであろう小道は有るが、目標は田の中の道だ
確信を持って道後を探りながら、倒木を越え小道を探るが無い
  
地図では谷が分岐する
谷角度にコンパスを取り道を探る。角度が合わない。右だ、地形が合うし谷角度が合う。ここだと道らしい所を歩いたが、そこは田の畦道だったようだ
右手斜面に小道らしいものが、アレが古道か??と進むとその先で道跡がハッキリと出て、古道の確信が出た
小さな曲がりもそのままだ。国土地理院バンダイだ
  
登ってゆくと鉄塔道標が出た。33号と32号が記されている
田の中の古道は消えているが、33号に行くルーとが有ったのだろうか??
兎に角ルートに間違いは無い

一度通った経験から、負の谷峠と思われる所に出た。ここにも鉄塔道標が出た
  
負の谷峠か???堀割峠に旧字体で負の谷峠1200mと朽ちた道標があった              堀割峠の道標↑
此処からは経験道だ。護摩の壇に向かう
途中の分岐を読図するが、地図を1/12500に拡大はしているが、道は尾根か巻くのか少し分かりづらい
登りだ、尾根を直登した。小道に出合った。以前は六尺道と教えていただいた。
牛馬の通れる用に傾斜は極力緩く付けられている
  護摩の壇ピークを巻くように小道が有ったのだろう。管理道道標がそれを示すが、往路は直登で山頂を目指した
急傾斜の斜面を登る。少ないがテープマークが出た。 
護摩の壇に突き上げて、陽だまりで昼食を楽しんだ
  
三等三角点、長尾が鎮座する護摩の壇、宿や杖ヶ藪、麓の方達がこの山頂で暖を取り焚き火を囲んだ場所から付いた名だとか
点の記を少し書いてみよう

等級種別 三等三角点 点名 長尾 北緯34°14′49″.3798 東経135°37′52″.4112 標高894.32

選点 明治36年5月6日 埋標 明治36年6月19日  測量 平成21年10月14日 所在地 伊都郡九度山町北又597番4

黒河峠側に下り山裾北側を巻く、此処が古道跡のようだ。
巻き道には古い道標がある
 

倉の尾峠方面には杖ヶ藪や黒河峠、高野山内へと道が続く 何度も探索した道だ
小道はかろうじて残り測量がなされている。次の尾根下に鉄塔道標が出て周回する。此処に出る古い道標の字は完全に読めない
 

鉄塔位置を把握しておけば、鉄塔道標は良い道案内だ
抜けかかった道を巻き、往路に出る。そこにも鉄塔道標がある
護摩の檀下を半周回した

以前六尺道として下ったルートだが、途中から四等三角点、南宿に行く
素直に尾根を通した。
温泉下から見上げれば断崖の山だが、来れば優しいピークだ
  

四等点は新しく平成9年6月19日の選点だ
標高は707.70mだ
地理院地図は途中で破線道は書かれていないが、六尺道ルートを地形から想像してコンパスを取る
旨く六尺道に出合った
  

電線と鉄塔が見える尾根先で33号鉄塔だろうと二人で予測して、現在地を探ったが、その位置は大きくはずれ、読図力の無さにガックリだ
道なりに下る。気まぐれにテープが打たれ、田の中を通り堀割峠に出た、
道標にある大隅平の位置は特定できずだ

天空の道を慎重に下り、馬覗き岩から再度景色を楽しみ、北宿り温泉下に下った
  
高野山は真言宗の総本山の山、山裾は高野山を目指す道が網の目のように開けていたのだろう
忘れられた古道は今復活されつつあるようだが、地図を見て山に向かえば、エアリアマップ道やハイキング道とは違う楽しみがある
事あるごとに高野山山麓を楽しむ私は、小さなサーバーから、小道の発信を続けている
皆様、決められたハイキング道ではなく、高野山を探索して古道を再発見してみてはと思います。
地図を見る力が付、山の楽しさが倍増するだろう
人が歩けば道は残る。
そんな気持ちで、記事を書きました。
お付き合い下ったS子ちゃん有難う。
三角点、南宿のピーク
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