明日香村の南淵山ピーク探索 2022/03/24 単独 |
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奈良県山岳会が昭和48年発行にした大和青垣の山々と言う本が有る この本を頂いたのをきっかけに奈良北部の里山を登り楽しんでいる 地形図は載らず文章と簡易図からその場所を推測して行くが、今回訪ねた南淵山(みなぶちやま)は範囲も広く山頂特定は難しい 本には356mと記されているが、同じ高さのピークが飛鳥川右岸左岸共に有りさて何方かと探索している 今回の探索で山名板が左岸、356.4m三角点、大根田にあがっていた 右岸ピーク356mには何もなく、最初の探索時のままだった 後はよく似たピークにも登ってみた |
大和青垣の本の記事をスキャナーしてみました 少しお読みください 挿絵地図 先ず飛鳥川西の山域のピーク三角点 大根田 356mピークを目指した コースは女綱の高取山登山道から取付いた 地形図から行けると判断していたが、予想した破線はハイキング道だった 通常通り、高取城に向かい登れば、最初の道標が有る地点、小さな地蔵がある下20mから大牟田、キトラ古墳の方向に入る 道標は朽ち、杉の木に架けられていた ⇐この道標は振り向くと見える ハイキング道とは思わなかったから、ラッキー気分で良く踏まれた道を下れば四つ辻に出る 此処にも道標が出て、大根田と栢森に向かい道標が出る 栢森方面は地形図だけでは、谷道で倒木でブッシュと思い込んでいたが、最高にラッキー、帰路は谷に決めた 正面の尾根に向かう。前知識では尾根は笹ブッシュだと聞いていた。 熊笹ならまだ歩きよいが、矢竹の密集はもう大変だ 覚悟して尾根に向かう 所が、尾根下にピークを巻くように杣道だろう道が出た 三角点下まで杣道で歩いた。極一部道が抜けるが、動物が道を作っていた 尾根に登るには標高差は30m程度だが、鞍部からは笹がひどい、少し鞍部を外し尾根に取りつく 傾斜も有るが動物道に準じれば比較的登りよい 尾根に出ればルンルンでした 三角点はチップも有り分かりよかった 山仲間の宝来の鈴さんが点の記を残しているが、真新しい山名板が木にくくられていた この365m地点を南淵山としていた。 確証は薄いだろうが 帰宅して大和青垣の山々を読み直し、村の老女性に山名を聞いたとき、山頂を指さし、アレはカガミ(発音は鏡ではなく少し訛る感じ)と言った さらに カガミから読み人不詳の和歌が出て まそ鏡 南淵山は今日(けふ)もかも白露置きて 黄葉(もみち)散るらむ この枕詞が関係あるのかとドキ まさかこの山名板のグループもそう感じたのか、大和青垣の山から三角点位置をそうしたのか 考えれば楽しい ブッシュ覚悟で尾根を通して四つ辻道標に向かう 話通り矢竹ブッシュ、体は大きいわ脛は曲がらないわ、もう苦労する笹ブッシュ |
四つ辻に出れば、栢森に向かって下る 地形図だけでは、倒木でブッシュと思っていたが┐(´д`)┌ヤレヤレ、整備のハイキング道でした 谷筋を下れば道標など出て飛鳥川の左岸を登れば、女綱下をくぐって車のデポ地についた 車で移動する |
車で関西大学飛鳥研究所東の私設林道から、飛鳥川右岸山域に入る 体力が有れば、直接に畑地区に続く尾根道を登りたかったが、足がいまいちで林道ならと林道を選んだのだ (帰路に村の老女性に聞けばその破線道は古い生活道で、古くは道普請が有った。今はどうか分からないが、と言う 地名的にはロッコクと言った) 尾根道はグーグルによれば、宇須田伎賣命神社と明治天皇遥拝所が載っている 今は車道から階段でも登れるが尾根には急坂だが林道風の道が有る 林道はコンクリ舗装で歩きよいが、思ったより傾斜が有り登り一辺倒だ 途中まで来てこれなら尾根通しが良かったかもと、下から尾根を眺めた 分岐は左に↑、林道終点まで歩いた。終点付近は少し生えこんでいたが、地形図とは様子が違う コンパスを取ればあらオカシイ 考えるのもめんどくさいと、GPS 確認すれば行き過ごしていた 地形図がうそをついていた。よくある事だ ここから登る⇧↑ 戻り、破線に変わるところからはまるで道は感じない 道も無ければブッシュは凄い 谷中なら登れるだろうと、ぬかるんでいる谷中を登ったが、距離は無く登れた 途中から植林内を登った。炭焼きの跡が有った 道が有ったのだろう 突き上げれば一度探索したことが有る道に出た 予定の500mピークは体力切れで行けず、予定の410ⅿピークを目指す 登り切って直ぐだ。前から人など見た事が無いと言う顔でアナグマがヨタヨタと歩く 気が付いたのか笹の中に方向を変えるが、まるであわてない 動物の踏み跡から尾根に入れば、勢いを失った笹が生える 歩くに問題はない ピークい行くが何もなく、道だけが続く |
林道と思っていた道はどうやら古い生活道だったようだ 前回の記憶から地図も見ないで356ピークに登ってみた 何の変化も無く、大きなカシノ木が中央にある 行くには少し勇気のいる笹の中だ 道まで下り広い道なりに下れば畑上にゲートが出る ゲートはカギは無いがチェンでくくっていた 坂田の村中を地図を見ながら最短で車道まで下る 最後部分は舗装が落ち葉や草で埋もれていたが、通るに問題はない 歴史的風土保全地区の風景を楽しみながら、男綱を目指す 途中の飛び石は無視して、南淵請安先生の墓を訪ねた ここから小道を登れば鳥居の中に南淵請安の墓が有る 南淵請安先生の案内には 推古天皇16年(608年)遣唐使学問僧として派遣された南淵請安は在唐32年舒明天皇12年(640)年帰国し中大兄皇子、藤原鎌足らに 「周孔の学」 すなわち儒教を教えた。没年は不明であるが飛鳥川上流南淵に移住したと伝える とある 墓地は祠の裏にあり、切立った尾根先に有り西を向き、カガミと呼ばれる山を向いている これが三角点方向だ 道に下り歩いてゆくと、関西大学研究所手前で老女に声をかけた 綺麗な花を作っていると言う 三角点や付近の山名を聞けば、カガミ、バンチャカ ロッコク、ウメタニなどと教えてくださる 南淵山については、南淵先生の墓はと教えて下さるが、山は聞かないと言った この方は、山が好きで富士山や十津川の山などに登った記憶を話してくださる 宇須田伎賣命神社と明治天皇遥拝所の尾根道は生活道だったことなど教えてくださった 山仲間はまたの機会に歩いてみたいと情報を下さる 奈良北部の山々は低山だが歴史や謂れは楽しい 道の脇に白いタンポポが咲いていた 白いタンポポなんて初めて見たような気がする |
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