雨司神社と鞍賀多和城跡資料
ショウタン
この資料は、雨司神社の雨司講の楠山氏から頂いた物です
雨司神社は、山腹240mの地点にあるが、講の方達も高齢になりお参りが大変と、現在写真の遥拝所上に降ろし、社を建築している。近く降ろされるだろう。楠山氏の話によると、水穴、風穴は年に一度はお祭りにお参りに行くと話されていた。
参道は、少し荒れていたが、年一度補修がされているという
雨司神社遥拝所の場所をマタマタマピオンにリンク致します
  

雨司神社の山域を雨司山としているが、昔の事で山頂を意味する物ではないようだ
現在、少し上に四等点、雨司があり標高は277.8mありさらに上に、古城跡、鞍賀多和城がある
此処をピークとしても良いだろうが、ショウタン的には、四等点を山名のピークとした
資料
資料には阿米志山の記と有る。仮名を漢字で書き直した物だろう。
此処に雨司山が出る





山頂の鞍賀多和城跡の配置図
阿波三好氏に抗した城
和歌山県日高郡日高町原谷

この城は大永二年1522年秋、阿波の三好義永が由良港に上陸、池田城を築き、そこを根拠に鞍賀多和城は攻め落とされた。のち、冬に畠山高国が湯浅氏と共に池田城をせめ落とし、三好義永を阿波に追い払った城跡だ









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