稲村ヶ岳旧登山道探索
2013/10/29
ショウタン


紫線は炉端山友会、リーダー奈良のJJ氏とモン氏が探索してくださったルート
稲村ヶ岳と言えば赤井五代松氏の赤井新道が一般的で、続いてレンゲ辻コースが二番目だろう
好き者なら、クロモジ尾やバリコヤの頭から登るであろうが、今回の旧登山道の事を知る方は少ない
私もこのコースが本に載り女人禁制時代に栄えたコースであった事は知らなかった
このコースの事を、森沢義信氏の大峯奥駈道七五靡75ページに2行で簡単に紹介されている事を大阪府山岳連盟所属、炉端山友会のリーダーモンさんが気付いた。この10月13日に仲間7人でコースの探索をしたが、確定に至らず、後日炉端山友会のJJ氏とモン氏が再度別尾根を探索した結果、今回の尾根が旧登山道である事が確定できた。
JJ氏とモン氏から送られてきた写真で紫軌跡の様子を少し載せてみよう
取り付きは前回と同じ毛又橋付近の虎丸と呼ばれる広い裾野の林道から取付き、カラ谷の橋を渡る
 
直ぐ右の小谷を渡渉して登ったようだが、軌跡から赤線を少し登り西尾根に乗り換える方が登り良さそうだ
尾根は中尾根よりは整備が悪いようで、これから間伐が始まるようだ。
 
登って行くと小岩が出て難路になり岩下をトラバースしたり小岩を登った様子が写真から見て取れる
  
青いビニールシートの下に、チェンソーが置かれていたという。モウ間伐が始まっているのだろう
間伐されると付近の様子からコノ尾根登りは大変なものになりそうだ
 

尾根の様子から中休み場や、ツンボ小屋屋敷跡が無さそうだ
結果コノ尾根にルートがあったとは思いにくい

前回登った中尾根がどうやらソウではないかとの意見を頂いた
自分の目で確かめたく稲村ヶ岳旧登山道を探索してみた
ショウタンの探索ルート
コースタイム
毛又橋(虎丸)07:58-カラ谷の橋08:12-中休み場08:48-ツンボ小屋屋敷跡09:16-ドアミ09:46-白倉山10:00-山は楽しいピーク10:50-
山上辻11:17分-レンゲ辻12:12-お花畑12:54-竜泉寺宿坊(昼食休憩)13:22-清浄大橋15:40-毛又橋15:56
各ポイントで小休憩しました


上の地図は、大峯奥駈道七五靡(なびき)の著作者、森沢義信からお聞きした昭和九年の古書、『大峯山脈と其渓谷』の三ページを参考に場所名を特定したものです。ソノコピーの三ページを貼付けてみよう






吉野群山記抜粋のページ


ドアミについては白倉山尾根に突き当たった所としたが、この付近とらえるのが自然かも知れない
稲村ヶ岳の昔の様子が読みとれると思います。今とはずいぶん様子が違ったのだろう
虎丸と呼ばれた登山口は林道が出来、カラ谷を渡る所まで車が入る事は出来るが、此処はソマ道、植林道だもちろん一般者は入れない
チェーンが張られた入り口には天川村が始業放置林の整備中である事が書かれている
そこから15分程度でカラ谷を渡る橋が架けられている
  
読図するとこの橋を渡って小さな沢が右手に出る
この先にも始業放置林整備の書き物が有る。JJ氏とモンさんはこの尾根をここから直登して探索してくださった

少し広尾根を登るとカラ谷から左に約45度の角度で細い尾根が急角度で出る
左手尾根、前回JJ、モン両氏がが登られた尾根だ
古書の文面にある、カラ谷と45度の角度での文面通りだ
急傾斜を、見上げるばかりの急傾斜とメール下さった炉端山友会のモン氏の表現が当てはまる急傾斜だ
登れば登る程急傾斜だが危険はない。
見事な植林内だ。最低昭和9年以前に植林された100年物の杉や桧達だ

コノ尾根取付きに一カ所だけ目印を打って下さっている
尾根など間違うはずがない一本尾根だがコンパスはキチンと取って小さな角度から現在地を推測した
もちろん高度計も参考にする
  
       取付きマーク            中休み場↑
中休み場という休憩ポイントがあったのだろう
行仙岳、笠捨山登山道の桧休み場の様に小さな棚だろうと推測しながら登った
途中に小岩が露出する下に小さな四阿なら建てられそうな棚が出る
此処が中休み場だろう。そんな場所はそこしかなかった
本当に見上げるばかしの急傾斜になるが右手はヤヤ広い谷だ。
此処を動物の踏み跡を頼りにクネクネと登ると案外傾斜はない
  
右手の谷には水が流れていないが、足でコツコツと表面の土を掘ると湿りが多い
どこからか水が出ているのかも知れない
息を切らして登ると、JJ氏が言った小屋が出た
中には布団や毛布が残され、長期滞在した後が見られる。
水は右手の谷にあったのだろうが豊富にあったのではなく小さく掘られた井戸状の物が有ったと想像する。この想像が楽しい

この付近に棚がないか、リュックをデポして上り下り、そのように感じる所はコノ尾根では此処だけだ
小さなツンボ小屋があったのだろう。ヒエや粟程度は耕作できたかも知れない
此処をツンボ小屋屋敷跡とした

少し緩やかになった尾根を100mばかし登ると白倉山の尾根に突き上がる
この100m程度の登りが文面出でる西への絡みか?
大峯山脈と其渓谷には白倉山の表記がない
1481mのピーク下がドアミとある
現在の国土地理院地図では1470数メートル、当時の測量精度からするとそれくらいの違いは有るだろう
今は白倉山と名が付いている。南の白倉谷ピークだ
白倉山の西下がドアミだろうが、尾根突き上げ付近にドアミの看板を揚げた
後はオオカミ尾に向かって尾根を歩く
登山者が増えたのか、踏み跡が出来つつあり石楠花ブッシュもリュックに引っ掛からない
  

 
綺麗な尾根だ。北西側ピークには10年程前に目印を残したのが今もある
1630mの双耳峰、南東側ピーク下から高橋横手に入る。
この小さな双耳峰から高橋横手、山上辻と石楠花ブッシュを下る
万が一ルートが分からなくても少々方角を間違っても、レンゲ辻道に向かう道か、五代松新道に出るが地図はシッカリ見よう
古人が後少しと頑張っただろう高橋横手だ
  
双耳峰付近↑                高橋横手に向かうシャクナゲ帯      笹原の高橋横手、右下に五代松新道が見える
稲村ヶ岳に登るにはガスが出過ぎている
見晴しのない稲村ヶ岳はつまらないと、稲村小屋入り口で風を避け行動食を取った
7人程がリュックをデポしていた
久々に念仏山を巻レンゲ辻結界門に出た
  
                      
念仏山北側の巻道は所々で崩落して道が細い
いつも念仏山を越えるが、体力が要ってもその方が安全かな何て自己満足だ
結界門から、小稲村横を大峰山お花畑に向かう
少し前まで30分も有れば余裕だったが40分の時間が係った。老いたなと感じつつ霧の中を楽しむ
   
お花畑の米栂の木が樹氷で固まるのがもうすぐだろう
誰もいない大峰山上寺に手を合わせ竜泉寺宿坊前で風を除け一休みの昼食だ
  
下山は鐘掛岩から油こぼしを下らずに指定下山道を下った
所が、木の階段は湿り見事に滑った。あわや滑落の危機、大汗を流す
人工のものはやはり危険がついて回る
話は飛ぶが太古の辻から前鬼への下りの階段で事故者が多いのはこのためだろう
対策が必要だろう
  
下山道分岐                  陀羅尼輔茶屋          洞辻茶屋

だらにすけ茶屋が雪に埋まり、洞辻茶屋が雪化粧するのも間近だ
霧雨で濡れた体は寒いが、ヤッケも付けずに下山を急いだ
いつも一本松茶屋が遠く感じる下山道、一本松茶屋で水分を補給して下山を急いだ
 
誰もいない清浄大橋の駐車場、紅葉がメチャ綺麗だったが寒さのために毛又橋に急いだ


総時間8時間、稲村ヶ岳旧登山道探索と大峰山、大満足の一日だった
お世話になった皆様有り難う御座います

忘れ去られた道が思い出される事を願っています
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