青峰から葛城28宿第六番経塚と旧池田隧道 2014/09/13 二人 |
総時間4時間15分 路駐点、マピオン地図にリンク |
和歌山から犬鳴山七宝龍寺へ行くには現紀の川市の池田隧道を抜けるルートが車道では一番近い この池田隧道上に、和歌山で一番古い1886年(明治19年)の洋式トンネルが有る 今も池田隧道はトンネルファンが訪れ、トンネル内を歩ける古式トンネルだが、この道が出来る以前の街道は何処だったのか ショウタン的に、国土地理院地図からそのルートを歩いてみた。 |
この付近は明治の時代池田村と呼ばれ田中村と合併して打田町と成り、さらに粉河、那賀、桃山、貴志川町と合併して紀の川市となった その池田村の名が残る隧道だが状態はよく史跡として大切に保存したいものだ |
国土地理院地図を眺めると、旧打田町重行から青峰を通るルートが書かれ、その先は葛城28宿経塚第6番、松峠経塚、志野峠経塚とさらに旧池田隧道上に経塚と書かれた石がある。 この青峰ルートが、最古の犬鳴山と和歌山池田村や田中村を結んだ道だろうと地図を片手に歩いてみた。 先ずは、旧打田町重行の凸地に路駐して青峰が見える所から農道に入る 家左手農道に入る↑ |
農道は舗装され状態もよく地図どうりに歩く 地理院地図閲覧1/4500には農道が書かれ分かりよいルートだ 道成りに登れば見晴らしも出て、紀の川平野や竜門山が美しい さらに登れば、ゲートが出てその先に石積みのミカン畑が出るが、廃園なのかは不明な状態だ この農道通り歩けば253.4m三頭三角点、青峰の直ぐ下に出る 農道終点の上が青峰三角点だ。ミカン畑内を通らせていただけば。山頂に三角点がある 基準点名 青峰 等級種別 三等三角点 標高253.32 北緯34°17′40″.5696 東経135°22′33″.6875 所が、この三角点青峰横に、石の祠が有り??これは、 下山後地元の方に祠のことを聞いたが、有る事は知っているが何かは知らないと言う ショウタン的推測は、雨乞いの神様を祭っていたものかもしれないか又は経塚ではないだろうか 紀ノ川平野が、見事に見張らせるし、池田村が眼下に収まる位置だ(現在は立ち木で見えない) 紀の川市に尋ねると良いのかも知れない。興味のある方はお調べください 石の祠 |
少し雑木とミカン畑の境を北に歩き雑木の中に入る。 少しブッシュ慣れしていないと引くかもしれないが、くもの巣以外は歩行は簡単だ とにかく、くもの巣が多い |
くもの巣を払い現在地を確かめながら読図訓練をかねて歩いた。 古道跡は少し残り巻き道状態のところもあるが、尾根に準じた 測量点P316は低木で上空が開けGPS測量が成されたかと目印を探すが無かった 途中、コースの読にくいところが出たが、慎重に地形図から現在地を探り出し方向を決めた。 突然黄色のテープが巻かれていた。一個二個、と あと少しで林道に出ると言う付近からはっきりと道跡が出たので古道に沿った 右手下には林道(農道)?が見える 林道に飛び出し、いったん右手に歩いてみたが、地形図と違い、引き返しダートな道へと歩くと、直ぐ右手上に松峠、経塚六番がでた ダートな道 松峠第六番経塚↑↓ |
さらに道を進むと右手にマークが出た 下から入る志野峠6番経塚への道だが、少し歩き三叉路から右手に入った。 三叉路にはどちらを指すか不明な道標が有る。 とりあえず東側に入り100m?位で又鉄山道標が出た 入り下ると、立派な石仏横に、それらしい経塚石がシデと共にあった 石仏から察して、ここは志野峠だったのだろう 経塚石 結果小さく一周した。 経塚はいかにもそれらしく小石が積み上げられていた ここから、古道は三角点339.2m横を通り、犬鳴山に向かったものだろうが、旧池田隧道に向かう 志野峠下のテープ前から尾根に入る。尾根には道らしい跡が見て取れる |
一度経験している所だが、どの位置に旧池田隧道が有るか記憶に薄く、とりあえず現在池田隧道上に向かった 途中で、道跡が消えたがかまわず、池田隧道上に向かうが、目標の谷に下るところは、激下りで慎重に下った 今思うに、以前来たときは、直接旧池田隧道真上から尾根に取り付いたのだろう とにかく、目標の谷に下れば、道が出る その先に、池田隧道が口をあけていた |
ほとんど痛みが無い旧池田隧道だが、以前来た時には無かった蝙蝠が数百派いた 中に入ると、こうもりが飛び交い少しキモイが、こんな光景は初めて見る。こうもりはやや大きく、街中で見るものではなかった 25〜30cm程度で、顔すれすれに飛ぶ蝙蝠の羽ばたく風は団扇並みだ |
南側出口に池田隧道と書かれている。そこから先道は不明瞭で、いつか歩いてみたいが、ブッシュがひどそうだ |
北側出口から、隧道上に登るが急傾斜、トラロープが補助されている トンネル真上に、またまた六番の経塚石がある 鉄山氏の案内によれば、私の歩いた道は、犬鳴越道と言うのだろうか? |
トンネル上でパンとジュースで昼飯をかきこみ、最短で、粉河辻〜菰坂峠間、昭和26年完成のルートで下山する このルートは地図に載っているが、昭和の道だったことは知らなかった とにかく北口から、県道に出て、現代池田隧道北口から、砕石取り方向に入り、読図で菰坂峠分岐に向かう ダンプカーの多い道だ 菰坂峠、中畑峠方面分岐を南に下り下山する。 途中から見える紀ノ川平野が美しい |
現在道に出て、路駐地点に方向に下ると、池の淵に下ってきた来た道が、林道で池田村が昭和26年に完成させた事の記念碑があった この時点で、菰坂峠の位置は知らなかったが、帰って検索で知った |
路駐手前の露店の奥様に色々と歴史を尋ねたが、奥様は私より一世代上の方しか分からないと言う それでも、神通の子が学校に通うのは、新林道ではなく、旧道の山の中で、ここには沢山の地蔵があった これを持ち帰り家で祭る方があり、今は座石しか残らない ここを歩くだけでマッタケが籠にいっぱい取れたとか、たぶん中畑峠越えの事だろう またまた歩いてみたい この露店は、品物が付近で一番新しく値段もリーズナブル、少しほしいものがあったが、財布を忘れ、又来ますと言って御礼を述べた オカンとオーケストラコンサートの約束がある。 帰る時間を気にしながらだが満足するコースで歩けた。チョット探索のコースだった |
戻る |