奥高野
護摩壇山と千ノ時、耳取山、小高山と日光神社と伏拝山
2018/10/08
2人

時間09:08〜14:25
距離約11km
世間は連休と楽しまれているが、土日祭日が勤務の二人は偶然に同じ日曜日に休みになった
天気は晴れそうだ。
足を痛めている私に気遣い近場でチョットハイキングでもと、和歌山県最高山と成った龍神岳を中心に、付近の山を楽しんだ
高野山からR371 の高野龍神スカイラインを南に下り、護摩壇山スカイタワー駐車場に車を置き、スカイタワー横から護摩壇山に取り付く
09:08分と朝も早いが、沢山のバイクツーリングやドライブの方で駐車場は賑やかだ
今日の駐車場からの見晴らしは最高だ。
  
整備された道を登れば、台風20号、21号、24号の爪跡が濃い。
20号の後一度倒木処理されたようだが、次々と襲う台風うに整備が追いつかないようだ。
  
緩やかなハイキング道階段を塞ぐ倒木だが、私達には問題なく登れる。
順次整備はされるでしょうが、それにしてもアレだけ沢山のかたがいても、護摩壇山に登られる方は無い

夕日朝日百選の護摩壇山、見晴らしも良くお弁当ハイキングに最適だろう
 1372mの護摩壇山
かつては、和歌山最高山として君臨していたが、護摩壇山より10m高い現、龍神岳が地理院により測量されてその座を明け渡した
護摩壇山から尾根を東に下り、少し登り帰せば、龍神岳だ
尾根道は整備が行き届いた道だ。
  
小さく登り帰せば、電波塔が有り和歌山県最高点に、石柱が有り、其の先に龍神岳の石版が鎮座する
龍神岳は、和歌山最高地点と認定されたときに、公募によって山名がついた。
山名の決定権は、地方行政にある。
  
龍神岳で見晴らしを楽しみ、アレが耳取山、アレが千ノ時、小高山はアレだと山座同定だ
 
なだらかに東に下りこみ、広い林道の多和に出る。
そこにも電波塔が有り、北側の林道に入る
  
紅葉は少し早いがオオカメノキの木の実が赤く綺麗だ

通常なら、耳取山を越えて千ノ時三角点ピークに行くだろうが、へそ曲がりの二人は、山容や歩行距離を考えて、
林道を歩き、千ノ時ピークを廻りこんで、北側から千ノ時に登る計画だ。
地形図の緑色の線

林道を歩いて下れば、千ノ時から三人の登山者が下ってきた。
耳取山に登ったという。??
聞けば、ヤマレコにこの上が耳取山と出ていたという

ヤマレコは間違いですよ、
耳取山は1363mピークだ。
帰路に登れるとアドバイスを送るが、地形図も簡易地図も持たない人達だった
山と高原地図51、高野山、熊野古道、伯母子岳のエアリアマップに耳取山が記された。
少しは耳取山の位置間違いは少なくなるかも


小さなページに山名違いや場所違いを記し呼びかけても其の効果は小さい
マタマタ、耳取山の位置違いが起きてしまうかと思った
大峰や台高ではそのような位置を見かける。
千ノ時、北下の林道を回りこみ、北側尾根から千ノ時山頂に登る
取り付きは動物道を探した。
  
千ノ時西側登山口↑                                        私たちが取り付いた

此処が西側取り付き↑通常は此処から、マークが有った。

私達は上写真右端の所から取り付いた。
尾根は自然林で感じも良く、山頂肩は急傾斜だが登山気分が出る。
  
山頂には、三等三角点、千ノ時が鎮座する。
千ノ時点名の由来は何なのだろうか??
  
地理院の明治の点の記から、地名の俗称が千ノ時と呼ばれていたことが読み取れる
千ノ時は、地名の呼び名と言う所か。山名として千ノ時としてもおかしくは無い

点名 千ノ時
北緯 34°03′34″.4592 東経135°35′14″.2127 標高1344.10
選点 明治36年5月25日
千ノ時から西に下り林道に出て、直ぐのピークに登り返す
 取り付き

1363mピークが、耳取山で測量杭の周りに石が積まれ、小さなフィギアが置かれ朽ちかけた山名板と共に有った
 
山頂から南に尾根を下り林道を目指す
好き者も多いのだろう。このマイナーな尾根に細かく白いテープが巻かれていた
林道への下りは、少し左の尾根先が良いだろう
私達は真ん中付近を降りたがやや難易度はあったが問題は無い
  
此処から先は、林道歩きで小高山ピークを地形図から見る
この山域は国定公園内だ。
林道をくねっと下れば、アララ、尾根先に出た付近に整備階段が有ることがわかった。
  
                         小高山を見る↑                    帰路はこの階段を登り返した。↑

林道内には軽四が停まっていた。
意味は不明だが、軽四が入れる程度の整備が有るが険路のダート道だ。

山域に入るには気の使う立札が有り、其の場所を避けまわりこむ形で小高山に登った
緑色の線参照
  

↓此処からの取り付きが理想だが、私達は廻りこんだ


  
此処から取り付き↑ 小ピークを避けて斜にトラバースでコルに、コルから一登りで山頂だ
マア、巻き巻きが好きなショウタンだ
古い山名板が落ちていた。修復をしておいたが朽ちる寸前だ
少し尾根を引き返し、昼食を楽しむ
後は、ひたすら林道を(赤線)、護摩壇山駐車場に帰るが、往路に見つけた階段の整備状況は良い
何のための階段か不明だが、状態は良い
  
龍神岳東下のタオ手前にはシッカリとゲートがある
  
駐車場は朝以上に賑やかで、特にバイクが多く暴走車も有り注意が要る日曜日だ

日光神社と伏拝山
足を傷めてはいるが、案内では1時間半程度も有れば、日光神社、伏拝山を周回できるはずだったが、台風20,21,24号と山に倒木をもたらし
山が抜け、2時間15分係ってしまった
笹の茶展望台下に車をデポして、日光神社遊歩道を下る
小さな階段を登ると直ぐに巨木が道を塞ぐ
日光山に山名板でも有るのかとチョット登って見たが、測量石が有るのみで何も無い山頂だ
遊歩道を下るが、何故、どうしてと感じる階段が永遠と続く
自転車でも登れるような傾斜でも階段、マタマタ階段、丸太の階段は苔や濡れで滑りが有り注意が要る
相棒さんは、余計に危ないと階段を避けていた
  
マア、道間違いを無くすには良いだろうがなんて話し合いながら道標を見る
20分だって
一度は倒木を整理したようだが、次の台風でマタマタ倒木が出てそのままのようだ
巨木の倒壊は道を塞ぎ廻り込んだ先に、日光神社が出た

年々痛みが増しているようだが、休憩用東屋は健在だ。東屋の写真は無い
  
日光神社の歴史が書かれていた

日光神社は、小辺路を通過しての熊野詣でが盛んな頃信仰を集めた大きな神社で明治9年、神社統合で清水八幡社に合祀され里に移されたといわれているが、当時は日光三十八社権現と称する由緒ある神社だった。

この神社の氏子だった上湯川地区の保存会が再建し、以後守られている。
中世頃には、山伏や行者たちの修錬と宿坊の拠点として創建されたが、応永26年(1419年)頃の火災により焼失したという。

昭和41・42年に、平惟盛ゆかりの旧家・小松家所蔵の「日光曼荼羅絵図」を参考にし、昭和41年県立吉備高校、清水分校が発掘調査行ない
曼荼羅絵図にも描かれていた寺社伽藍の礎石や多宝塔などの建物跡、経塚が発見され土器や護摩炉・鏡・銅製鈴なども多数の遺物も出土した。
昭和44年には、『史跡日光神宮寺跡』として、町指定文化財に指定されている。

東屋で小休止して
道標にしたがって巻き道を、伏拝山に向かう

県の案内ページには
笹ノ茶屋峠を出発すると、すぐに日光神社へ向かう分岐がある。
ここを右の道に入り、杉林の中の山道を下っていく。しばらく下り続けると、森の中に祠が現れ、日光神社に着く。
発掘により、規模の大きな神社であったらしいことが判っているが、現在あるのは二つの祠と社務所である。
社務所の裏から等高線に沿うように続く道をたどる。時折、深い谷を見下ろしながら杉林の中を行く。
しばらく行くと、稜線上の林道に出る。周囲は広葉樹林で、ところどころにブナの大木が見られる。
途中、伏拝山(ふしおがみやま)に立ち寄り、笹ノ茶屋峠に戻る。


巻き道は直ぐに荒れ、アレレノレ
  
引き返すのもシャクだと、倒木を乗り越えくぐり歩道を進むが、小枝注意の荒れようだ
  
一度は修復されたようだが、今回は修復があるのだろうか
油断してカメラを谷に落とした
足を痛めているショウタンはオロオロとしていると、準備のある今日の相棒さんはシュリンゲ二つとカンツキカラビナ二個で上手く斜面を下り
カメラを拾ってくださった。
準備が物を言う
  
小滝やコウヤホウキが安心感を与えてくれる
読図も疎かに、林道を目指す。距離案内があるが時間は私の足では及ばない時間だ
  
林道に出て、笹の茶屋方面50mに伏拝山登山口が有る
  
登山口から、林道を登れば、林道横に三等三角点、近井と共に山名板が有り、此処が山頂かと思うだろう

県のページには伏拝山について
・伏拝山
山頂近くに今もその跡が残る日光神社遥拝の鳥居があったことから、この名が付けられたといわれる。
 ・笹ノ茶屋峠
小辺路の休憩宿泊所があったところ。現在は高野龍神スカイラインが通り、笹ノ茶屋展望台が整備されている。
と書かれている
点の記
三等三角点、近井
北緯34°04′32″.5213 東経135°31′29″.6533 標高1026.43 
選点 明治36年5月22日
所在地 和歌山県有田郡清水町大字上湯川字近井続136-1
笹の茶屋に引き返すが、尾根道を帰るほうが、少しでも山らしく感じるだろう
  
笹の茶屋跡に引き返したが、林道には巨木が倒れ処理されていたが、今回の台風は和歌山では最大瞬間風速57mだった
その風力の強さは驚くばかりだ
 
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