千早古道
千早大橋から千早峠
丸山、東條山、花尾山
2023/12/09
炉端山友会にて



千早古道は南河内地方と五條方面を繋ぐ最短の生活道でした
その峠越えが千早峠でした
その千早峠を越え五條に攻め入り、五條を天朝直轄地として天皇親政を作ろうとした
天誅組が観心寺より五條に向かった道でもあります

河内長野市観光協会の看板



中津原の西恩寺から千早大橋や千早口駅から千早大橋、千早、金剛山と何度か踏査した炉端山友会会員
オフ会として初めて千早大橋から千早峠まで歩いた。このコースも会員が倒木を処理して歩き良く復元した

コースは所々小枝で埋まり通れない状態の所は道横を歩いた

途中の丸山塞跡跡や三角点千早、東條山、花尾山と山も楽しんだ
コースは千早大橋西詰の無人駐車場から旧千早トンネルに向かう道に入る

 

今日も古道に有ったであろう石道標の字が読めず??

観心寺への石柱道標は近代の物か読みよいが、距離表記は里と丁で1里29丁とある
  

上写真、真中位置から左上に入る



 旧トンネル方向に入り直ぐ右手から西恩寺方面の千早古道に入る
同じ所で旧トンネル上に出る古道も有ったのだろうがもうその跡は分かりにくい
一度踏査に入った記憶が有るが、上手くつかめなかったのか記憶は薄い

一曲がりして左手の小さな尾根に入れば主尾根の出合に関電だろう電波塔の鉄塔が残る

尾根を左、南に進めば、旧古道、トンネル上を超す道がでる。
これが踏査経験の道だが記憶は薄い

旧トンネル上には土砂流出防備保安林の杭が出る
  

ここからは標高差50m程度は激登りだ
古道はクネクネと残るが小枝が埋まり歩けない
道横を直登する
これは、本当に厳しい

登り切った付近に、丸山城跡だろうとの話だがその跡は薄くハッキリとしない

 
小さなピークも中々傾斜は有る
古道が残っていたころはクネクネと曲がって登ったのであろう

フラットになれば三等三角点、千早が出る

 

 南北朝時代に楠木正成の出城が幾つかあったのだろう。この位置も城跡が匂う???

尾根に戻り尾根芯を歩く

樹間の向こうに金剛山やコナラやクヌギが紅葉を見せた
  
これが最後だと、登りが出れば汗をかく
踏査の時は少し前だが、ほんの数年が体力を奪うものだろうか

 
小さな分岐などに手作り道標は有り難い
大住谷の林道から根来春樹氏に天誅組の話を聞きながら東條山に登った記憶も出る
根来春樹氏、

フラットな東條山の山名板が幾つか消えていた

 
日当たりも良く
風も少なくなり20分と言う少ない時間で昼食にした

そのまま、五條林道に出て千早峠に行くには少し時間も余るだろう
花尾山を超える事にした

花尾山までは最短で下り、杣道林道とでも言おうか、新しい林道から谷を下ってみた

花尾山は40m程度の独立峰でどこからでも登れるが、これは傾斜が有る
アマレコ軌跡の一番濃い所から取付いた
 

 
山頂には山名板が有る
見晴らしのど無いが小さな征服感が有る山頂だ

最短で、直下して五條林道に出て千早峠に向かう 
 

千早峠は看板や休憩所が有る
ヤハリ天誅組の事が書かれていた



この先五條までは踏査済みだが、五條五万人の森から龍頭尾根を登り、中葛城山、千早峠、岡八幡神社迄周回して、千早古道を通りたいと
気の早い炉端山友会会員

龍頭尾根も面白い
またやるか、なんて 
後は五條林道を通って、ババ谷口の駐車場に向かった

一台の車をババ谷に停めていた
ババ谷から千早大橋迄車移動だ
時代はあっと言う間に古道も歩けるが、昔の徒歩時代は傾斜も言わず最短で道を開いたものだろう
奈良南部の商業の中心地だった五條
そんな五條に天誅組は政治の中心を置こうとしたのだろうな

  

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