細峠から城ヶ峯、竜在峠、多武峰、御破裂山
2022/04/08
3人 
 

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 明日暇との連絡から急きょ御破裂山にゆく事に成り、細峠からの周回とした
宝来の鈴さんの、多武峰と言う尾根が有るの一言からコースは城ヶ峯、冬野、城ヶ峯、御破裂山、談山、と周回に成った
バリエーション好きな三人は談山でカタライ、地形図に家マークを見つけて、これ何と杣道から、赤い建物マークに行けばそれは三天稲荷神社
だった。
参道は談山神社から来ているようだったが、50m下に道が有るとバリバリと下ったが、これは失敗で談山神社に廻るべきだった

一台を鹿路集落の入り口にある公民館前の凸地に置き、旧鹿路トンネル北口の凸地に車で移動した
  
 旧鹿路トンネル北口の道標に準じて側道の林道に入る
舗装されているが快適ではない
途中に朽ちかけた道標が出る
どうやら、モトクロスバイクが道を荒らしているようで、立ち入り禁止の道標が出来ていたが、それはバイク向けのようだ

一汗流せば、細峠です
細峠は明日香から吉野へのルートで、古くは天武天皇が大海人皇子(おほしあまのみこ)だったころや松尾芭蕉、菅笠日記の本居宣長などが越えている
松尾芭蕉の ひばりより、空にやすらう峠かな や 天武天皇の歌、み吉野の 耳我(みみが)の峰に 時なくそ 雪は降りける 間なくそ 雨は零りける その雪の 時なきが如 その雨の 間なきが如 隈もおちず 思ひつつぞ来し その山道を 
などが知られる所だ

 

細峠を越えて少し下れば、細村跡が有り探索は楽しいが、今回は行かずでした


尾根を西に登り、城ヶ峯に向かう
途中に竜在峠へのパス道の案内が有る


城ヶ峰取付きには大きな案内が有った
城ヶ峰は古城跡だが誰の城とかは分からないようですが、素人でも堀切等から城だとすぐにわかる
勢いを失った熊笹の中を歩けば切掘りから登り平に削られたピークが出て、もう一度下り登れば、三角点が乗る城跡に出る
  

三角点の記
山名 城ヶ峰、三等三角点点名 城ヶ  標高 752.25、設置、明治36年7月2日 個人山
所在地 奈良県高市郡明日香村大字畑226番

先ず、竜在峠に下る
道はない
ズズズと下ればその下に竜在峠が出る
掘割に旧兵隊さんの墓と道標、入り谷側上の小ピークに登る
此処に金毘羅大権現の祠跡が有ります。
  



当時は大きな金毘羅宮か、次の竜在辻の石表にこんぴらの字が読み取れる

林道化された道を竜在辻に向かう
道標は冬野方向だ

竜在辻には東屋の休憩所と道標、古い石柱の道標が有る

東屋には本居宣長の旅日記の1頁と天武天皇の和歌が扁額であげられている



み吉野の耳我の嶺に、時なくそ 雪は降りける
 間なくそ 雨は零りける その雪の 時なきが如 その雨の 間なきが如 隈もおちず 思ひつつぞ来し その山道を と大海人皇子時代をに越えた時を思い歌ったと言われる歌をあげている

また石柱には
中央にこんぴら、右たふのみね 左よしのやまが彫られている

道標から冬野に向かう、道はやや下り気味なフラット道だ

途中に鹿路への分岐道標が有る
  

冬野は(とうの)は綺麗な集落だが常住者はいるのか分からないが綺麗だ
古くは30軒の家が有ったとか

電柵を超えて村に入り道標前から波多神社に登る
  

宝来の鈴さんは若いころこの地を訪れて、村人から多武峰はこの上だと聞いたと言う
お寺らしい建物の上に城跡を感じる細長いピークが有る
そこが多武峰と指を指したと言う
登ってみると、一枚の山名板が有って、知る人ぞ知る多武峰ピークだ
  

ミヤマカタバミが多く咲き人が滅多に来ないのか踏み跡は無い

ここから集落の多武峰には延々と下り道だ
これを登り返すには相当しんどいだろうが、予定では引き返し途中の鹿路と書かれたコースを踏査すると言う
マッいいか、最後尾をテクテク歩く
  

冬野の少し下に名水が湧く
祠とお不動様が祀られている

ずいぶん歩いた気がした
道上の橋を渡れば談山神社への入り口で旧多武峰妙楽寺正門跡に出る。廃仏毀釈後は寺は談山神社と成ったとかの碑が有る



神社内からも行けるが林道で、御破裂山に向かう
少し西に歩き舗装路を登る
綺麗な桜と、大きな家が出る
右手の家横から林道に入りひたすら登れば、四等三角点 破裂山のピーク下に出る
  

登りが続きふー、
四等三角点 破裂山は城跡との事でそれは感じるが
点名は、破裂山ですが、山名の無いピーク
此処に、御破裂山の山名板の多い事、上田先生が点名、破裂山の点名版が有るが何も感じないのだろうか
同じグループが二枚も御破裂山などと上げていた
  

三角点の意味がまるで分らないのだろう
マッいいか

少し登れば、御破裂山(ごはれつやま)618mの看板と共に、藤原鎌足公のお墓の案内が有る
 

山頂は禁足ちで登れない、此処も古城跡だとする記事が出る
展望台の案内から展望台に行ってみたが、木が大きくて何も見えない

引き返し談山(カタライ山)に下る
  

山頂は中大兄皇子と藤原鎌足が大化の改新の秘策を練った所と言う看板が有る


南淵山の探索では二人は南淵請安 先生の教えを受けていたと書かれているところから、秘策は南淵請安先生の教えが有ったのだろう
マア、ショウタンはロマンが好きだ

三人で帰路を探ると地形図に建物マークがある
行ってみようと、尾根の杣道をコンパスで探る
ひどい台地の先に 神社が出た。
グーグルでは三天稲荷神社と出た
  

参道は談山神社に向かうが、地形図では50m下に道が有る
下れるさと下るが、お勧めできない険路、参道から談山神社経由が早いだろうが、好きな三人は下った
お勧めできないコースだ
 
東門前に出て、巨大すぎの遊歩道を信号まで出る

跡は飯盛塚集落から、綱掛神事の綱下を通りデポ車に向かった

鹿路の道標探索の事はすっかり忘れていた



反省は三天稲荷神社から談山神社に出なかった事だろう
私の軌跡は余りにもウロウロとしているから、手書き修正した
軌跡通り下ったわけではない
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