城ヶ峯と高積山、熊野古道を帰る
2022/02/17
単独


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午後からチョコっと和歌山山脈の高積山、城ヶ峯を楽しんだ
和歌山山脈、又は和歌山連峰と呼ばれる紀ノ川左岸沿いにある独立山脈は、山城や古墳が多い
東は紀ノ川市や岩出市に接し御茶屋御殿山から鳩場山、金谷峠、城ヶ峯、北に高積山 西に大日山、福飯ヶ峰や花山と繋がる
特に西半分は日本でも例を見ないほどの古墳群が有り紀伊風土記の丘として公園化され、多くのハイカーが健康歩きで賑わう
私も気が向けば古墳群を周回する

今回は中央部を南北に周回してみた
一番登山者が好む登山コースだろう

四季の里道の駅駐車場から城ヶ峯を望む グーグルマップから
 道の駅を出たのが12時40分と遅い
何年かは来ていないが、付近は実家も近く、何度も何度も登り遊んだ思い出の山だが、久々に登った
四季の里が出来て子供時代よりは開かれたが、和歌山市でも奥地で戸数は少ない所だった
私の子供のころより、ミカン類やタケノコの産地で今もその人気は高い

登山口まで車道を歩き農道に入り登山口に行く
地図参照

コース途中の土手には野生の大根が生えている程のどかだ
地図を見ながら登山口に向かう
途中から四季の里が見晴らせる
子供達や大人も楽しめる緑化の公園で、タケノコ掘や地場の野菜や果物販売もある
付近の道では無人販売も有り、土日は賑やかだ

登山口には古い道標が有るしテープが巻かれている
竹藪の中に入るが、古道跡で良く踏まれているがボランティアが時々草などを刈ってくださる程度だ
 
城ヶ峯までは倒木が多い
これも和歌山のクラブやボランティアの方達が整備してくださるそうだが、巨木は残っている
通行には問題はない
又、友人達にお願いしても良いのかな

金谷峠に出た
峠には道標が有り縦走の一つの目安が金谷峠でしょう
旧道の横に、お地蔵様とお不動様の石仏が有る
 
尾根道は車が通れるほど広い
多分林道だろうが何故林道が通るかは知らないし、子供の頃に有ったかなかったかは記憶にない
巨木が倒れているが通行には問題はない
 
問題は無いが、少しは巻いたり越えたりする程度だが、撤去は望ましいだろうな
鎌で笹は刈り取られているところもありました
ボランティアGPさん有難う
目標の城ヶ峯の二等三角点、高山は笹の密集したピーク、笹刈り取りが無ければ三角点も通行も難しいだろうな

城ヶ峯からは 倒木も無く広い樹間の尾根を歩く
途中の見晴らしから高野山や長峰山脈、白馬山脈が見え、特に竜門岳が富士の姿で見える
紀州富士の別名が理解できる
 

直ぐに高積神社下社からの参道に出会い、出合に梵字が書かれた石板が幾つかあり、離れた所の大きなものは3m程度有るかな
  
苔むした道を高積神社に向かう。直接社殿に出る階段は歴史を感じる
正面鳥居迄歩くが、緑片岩を積んだ石垣は綺麗だ 

鳥居から社殿に登り柏手を打った
歴史を書いた看板が有りました
載せておきます
 

山頂ピークに登り山頂を確かめて、梵字の所に下り下社(下の宮)に向かう
 

最後に登ったのは何時か忘れたが、参道はコンクリート舗装がされ車も登れそうだ
途中に里人が小字毎に区切り、桜を植樹して花見どころを作っていたが、古木と成り立ち枯れも多く成っている
此処で花見も経験したが今は出来るのかな
下社に出て熊野古道に向かう
 

熊野古道横には重要文化財の旧中筋家住宅が有る
私は見学したのは修復前でした
今は新しく修復され綺麗だ
 

城ヶ峯、高積山を見ながら矢田峠を越える
途中で道を間違い直ぐに気が付く
途中に心霊トンネルが有り、越えれば古い墓地に出る
女性の声や姿が見えるとか、

手前から道標に従う
 

車道越えは車に注意のカーブ
急坂を登り直ぐに役行者の石仏が石祠に有る
 
矢田峠を越える
今から考えられないが、矢田峠は県道で車の通行が有った
徒歩時代はもう一段上に有ったようで、石板の南無阿弥陀仏や石仏、墓状の物などが有る
見に行く道はない
 
気が付けばスマホ電池が切れかかり写真は撮れないと成った
直ぐに充電するが何故か写真は写らない
峠直ぐにも南遍照金剛と書かれた石板や地蔵風のものが有り、史跡も多く交通の難所だったのだろう
ミカン畑の中を下り行くと、山肌に又役行者様の石像が有ったが写真は無い

そのまま、熊野古道を歩き
遠回りで道の駅に行くも楽しが、今回は王子社跡は無視した
最短で、道の駅に行こうとしたが、途中で道が使用されなくなり雑木が垂れ下がり茨も有り一寸踏む気に成ったが、通れた

広い道を通るのが良いのかな

マア色々とコースは取れるだろう

駐車場に裏からも入れると見たが入れなく、グーグルに載る資材置き場の中を横切った

夕暮れは早い
私の車が一台のみ置かれていた

 
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