西谷の池コース廃道 私の備忘録
2022/02/03
二人 


ヤマレコ地図にリンク 

地理院地図にリンク
度重なる大雨や強風、台風で紀泉高原のコースは痛みが出たが、人気のコースはボランティア活動で修復されていった
地理院もコースの書かない、森林管理署がコース設定して道標を作ったコースで、崩落や倒木、ブッシュ化されたコースは捨て置かれていた

所がそんなコースの西谷の池でも、倒木をくぐりブッシュを分け、川を渡って細々と登り通られていたが、段々と少なくなり等々廃道に成った
待っていても修復は無いと、倒木横に巻、ブッシュは踏み跡を残し、コースは通れる道を探しながら歩かれていたと言う人たち

そんなコースにコース間違いが無いかと同行を願われ歩いた
私で10年以上ぶりか記憶も薄いが、現場ではマダマダ特徴は覚えていた

通れない所の倒木は取り払い、ブッシュ笹は切、トラバースは残置ロープの確認とコースを歩いてみた

軌跡取りは途中でSWが切れたのか途切れてしまった
同行者のコースを継ぎ足して一応コース図を作った
 大関橋から奥畑方面に市道を歩き、小川地蔵分岐から林道に入り、滝谷尾登山口下を通り、八王子社跡登山口から少し奥に入る所から
コースは荒れていた
 
桜の大木が道をふさいでいた
根の下をくぐり通っていたが、何とか取り除きが出来るようになった

その先で
橋が崩落、川に降り登り通っていた
ここは、何ともしがたい
プロの手を借りなければ修復は難しいだろう
とりあえずは通れる状態だが、水が出れば川は渡れない

川の中
その先に廃小屋が有り、場所を栗畑と読んでいたが、栗の木は絶えてない
ここで小屋下から滝下に下る
小屋前から滝上に出れば下りが大変だ
 
正面の土管が出ているところから道らしい所を登れば鉄梯子が出る
その先で、池のオーバーブロー水を流すコンクリ坂が出る
梯子で登るもよし斜面を登るもよし

バス釣りの人たちが来ているようだ
根性だなと話せば彼らが通っていたことによる効果も大きいと言う

池を廻る道は、倒木、倒竹、葛、笹、切り取り進む
途中に鉄塔道道標が有り池尻に下る
池尻でご飯を食べ、ルートを進む

その奥の灯篭谷から大福山に登るルートはやはり通行不可の標識がぶら下げていた
史跡的に必要な道だろうが、モウ整備は無いだろうな
大荒れだ

そこから、谷出合の砂州の広場(杉の巨木や雑木が生える)所に行政の道標が残る

写真は取らなかった 
地図の谷は沢の状態だが水量は少なく通れる
途中に古い鉄塔道道標が有るが道はない
 
師範学校訓練校舎跡に出るが、遺物は埋まり植林の中に高い石垣が有る
こんな山中でどのような訓練をしていたのだろうか
まだここで訓練を受けた方が御存命かも知れない

ここから尾根芯にトラバースだが、取付きは分かりにくい
フィックスロープが張られているが、足元はすでに斜面に成り良く滑った
尾根芯が近づくと道は岩上に成り上手く残っている

跡は尾根芯を登る
ここは道跡はハッキリと有、小枝は切られ道は残っていた

途中に写真のような石積が三ヶ所三角形の物が立っていたように残る
私は国旗掲揚台跡と聞いていたが、関西電力社章の境界石が有る
違うかもしれない
 

息を切らして登り切れば、西尾根道と言う紀泉高原縦走路に出る
此処には通行できないと書かれた札が有る
井関峠から下るも良いが、久々にバベ尾を下ろうと下った
地図とコンパスは持つ
先ずバベ尾のピークを目指すが、バベ尾は鹿路坂(井関峠道)から登る破線道に記されている
バベ尾の支尾根だが、まあいいだろう
バベ尾本道は破線道は記されていない

地形図リンク
 

バベ尾のピークの鉄塔から南に下る
破線道は書かれていないが、古い井関峠の道だろう
バベ尾を越えて淡輪や箱作に出たのだろう
大阪側は完全に道跡は無い
今は井関峠越えが道だ

バベ尾ピークの鉄塔
ここで鉄塔管理道に入り込むと大変です
コンパスは取ろう
道跡はほとんど見えないが、気まぐれに古いテープが有る
羊歯が出れば此処が道だろうと羊歯を分け、踏み跡を確かめ下る
一本尾根だが下りは間違いやすい
左右は急傾斜で下れないだろう

下るほどに道跡が出てくるが、最後の畑跡で割谷に下るピンポイント探しにうろついた
時々に人が登るルートだ
小さく棚が有った

川に出て渡渉して、墓の谷道を下れば、小川地蔵に出る


廃道に成るには惜しい西谷の池から師範学校訓練校舎跡コース
今は通れないが、何時かは復元されるだろう

記事は私の備忘録です
頂仙なさる方は自己責任はもちろん、十分な準備と地図を読める仲間と登られることをお勧めいたします
 
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