ある日出した手紙の思い出



今年の秋は暖かく、山の紅葉が気にかかっていましたが、季節は正直で山を赤く染めてくれた。

 そんな中マダマダ若いと、人の通らないような、忘れ去られたような古道やソマ道を登り続け

る私でしたが、小橡山をおしゃべりな佐藤さんや斉藤さん、乾さんと縦走中に突然腰痛が走り、

何とか下山は出来ましたが、一向に痛みは治まらず、三箇所の医者を廻り、最後に私に合った

医者に出会いましたが、年齢的に三ヶ月はかかるとの診断でした。

その先生は、私の訴えに、和歌山医大の腰痛の名医を紹介して下さり、待ち時間も無く診断を

していただく手配をして下さり、その日のうちに診断して下さりました。

瀧本さんは珍しい腰痛ですが、ヘルニア部分は今は自然治癒できると診断でした

腰痛狭窄のある部分は、筋肉や運動で乗り越えられるとのことでした

この日は、車まで歩く事もできず必死の思いで車を運転したものです

和歌山医大の診断は12月04日に最終診断をして、状態が悪いようなら手術も考えるとの事で

でしたが、和医大を紹介して下さった医者に通い、ペインクリニックで腰痛のブロック注射や根

ブロック注射を4回受けたところ、ほぼ痛みは無くなり、三回リハビリ的に単独で山を歩いてみ

たところゆっくりなら歩けるまで回復しています。

又、私の発信する山情報の読者から、私の娘は珍しい鍼灸をしている

一度診察を受けてみたらとのお知らせに、人の親切は受けるものと、費用を心配しながら行く事

にしました

30歳にも満たないだろう、ゆき先生は、気の流れから血流を整え病を治してゆく方法だそうで

私の体を見てずいぶんと手入れの無い体だと診察、足の冷たさや脛の冷たさを、自分のことの

ように嘆き、一生懸命気を注いで下さりました

私を信じ、お酒、甘いもの、生野菜等を断ち、回復まで我慢しなさいと言う

気というものを信じ、それを山から頂く私にはそれを受け取れる事ができます

週、一回か二回、ゆき治療院に通い、見る見る体の柔軟が戻り、痛みが消えてゆきました

医者が効いたのか、ゆき先生のお灸や気のそそ見込み、マッサージが効いたのか、マタマタ

私の節制が良かったのか、昨日のゆき先生の治療が最後に、病院でも仕事復帰が出来るとの

お墨付きを頂きました

骨折や擦過傷、病気などは回復があるが、腰痛は養生といたわりを続けないと、再発もある

体を冷やさず、登山では準備運動と、整理運動を守り、お酒や、甘いものの食べすぎを

控え、少し体重を落としなさいと、注意を受けて12月02日に会社に復帰します

和歌山医大の診察12月04を最後に完治とします

私ごとを先に言い終える馬鹿な私です

今回、玉岡さんが合われた事故の話を聞いたときには、自然と涙が出て神仏に祈りをささげまし

新宮から聞こえる話はあまり良いものではなく、玉岡さんも終わりやと絶望の話すらきこえまし

た。

いつぞや伺った。膝間接の痛みを乗り越えた話や、夜の暗闇の中、ロープ先も見えず、

リーダーはその先が、地上に届いている事を信じて、懸垂下降を決行した話、大普賢岳では、極

寒の中リーダーは皆を導き下山した話、登山愛好家として適切な判断で事故を未然に防いできた

玉岡氏だ。神は見放さない を信じてじっと見守っていました

山の祠や、地蔵、神社やお寺と、すべての神々に手を合わせ、回復祈り回復を信じていました

横浜の小林さんに、電話で何も心配要らない、黙って見守ろう。必ず回復すると話し合い、今日

のこの日を待ち望んでいました

卒寿を迎える玉岡さん、私にとっては、表彰や名声を受ける事より、玉岡さんそのものと山を共

にする事が一番うれしいのです

回復の話を聞くと、小林さんは今までの心配もよそに、未だ手紙が届かない、未だ手紙が届かな

いと、今までの心配がよそのように、子供のように待ち望んでいました

汗かき 字を書き 恥をかき、筆まめな玉岡さんの直筆を待ち望んでいるのは、私や、小林さん

だけではないでしょう

今日家内も玉岡さんの手紙を私に渡しながら、これは玉岡さんの字かと回復を暗に喜んでいた

新宮山彦ぐるーぷも、新代表に受け継がれたが、マダマダ玉岡さんが必要です

無理をするなと無理をさす玉岡さんの心が響き、無理しても無理が楽しい玉岡土建、などと皆老

体を奮い立たせて作業を楽しんできた

二代目は、その玉岡さんの人柄の重荷がのしかかって、重圧があるだろうが、二代目カラーを出

しています

が、時に焦り、重要な戦力を失う結果を生むときがあります

マダマダ 新宮山彦ぐるーぷは玉岡憲明元代表を必要としています

新宮山彦ぐるーぷには玉岡が要ると言うその空気だけでも、多くの方は新宮山彦の見る目を変え

ます

二代目が三代目にバトンを渡すまで是非、新宮山彦の重臣としてにらみを利かせてください

玉岡さんの回復に喜びながら無理を言う私です

又、奥様の訃報を聞いたときには、玉岡さんの回復もしらず、どうしていいものかも分からず

新宮のかたがたの指示に従っていましたが、一度仏壇に手を合わせなければ気がすみません

一度、家内と機会を見てお伺いするつもりです

又、過分なお見舞いを頂き恐縮しています

玉岡さんに負けず。完治して山彦の一戦力とし頑張ります

玉岡憲明と言う、私の人生の師匠と出会えたことは、本当に私を変え育ててくれています

これからも、ご指導をお願いして、皆様の健康を喜び合える新宮山彦ぐるーぷを支えください


玉岡憲明氏の若かりし頃の写真です

人は老いるが、心は老いない
私も老いるが、心は老いない

いつまでもいつまでも山を楽しむ

雨が降っても、風が吹いても 山は楽しい


立間戸谷を原助滝から取り付く若かりし玉岡氏達、約60年前