宮奥ダムサイトから竜門岳と細峠村跡、大峠周回
2020/01/14
3人 

 
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ヤマレコ

コースタイム

興隆寺08:10-三津峠08:57-竜門岳09:36~09:45-三津峠10:13-三津、鹿路道11:10-細峠村跡11:30~11:56-
細峠12:11~12:43-大峠14:14-興隆寺14:56
総時間約6時間45分
 2020/01/05に西谷から竜門岳に登り細峠、細峠村跡、西谷と左周回をしたが
今日は、宮奥ダムサイトの近畿自然歩道の亥神社跡から竜門岳、細峠村跡、細峠、大峠と右周回をした
雪もなく風も少なく、気温は低いが特に低いわけでもなく歴史の道と村を楽しんだ

宮奥ダムサイトのトイレに立ち寄り、大峠トンネルに向かい手前の興隆寺前の凸地に路駐した
取りつきの道標前は工事中で、工事車も止まっていたが、工事人に話して駐車を請うた
 
道標前からコンクリ舗装の道を登るが道上に水が流れ、気温が下がっていれば道は凍っていただろう
道なりに登り、道標が出て、道標前の杉の巨木横の階段から亥神社跡を見学に登った
 
亥神社跡に行かなければ道標通り谷に入ればいいが、亥神社跡を訪ねれば階段から取りつき、道標まで戻るか、鳥居から見えている古道にズズズzと斜面を下り古道に出るかの選択だ
私たちは鳥居上からズズズzと古道に向かったが、お勧めできることではない
 
亥神社跡は放置された状態で、神社に有ったであろう巨木が4本切り取られていた
神社移転の費用を得たのだろうと推測するいつものショウタンだが、巨木が一本残されていた
古道に乗って登る
道は有れているが、登るに危険は無いが雨裂のように道は凹み歩きにくい
クネット登り、道標が出て広い垰に出ればその上が三津峠だ
 
荒れた古道↑
三津峠から道標に従って竜門岳に登る
嘘のように道は快適になり、鉄塔や反射板が出て今日の唯一の見晴らしが出る
 
 
急傾斜が出れば山頂は近い
 
山頂でアララ

今日同行のご近所T子さんがDCTさんに預かっていた、ひこにゃんを山頂で頂くsurpriseが有りました
DTCさんはひこにゃんをプレゼントされることで超有名な方だそうです
すごい驚きとうれしさでした
 
三津峠まで引き返しますが、今日の同行者は足が速い。先に行ってとほとんど単独歩きと変わらない
各所各所で待ってくださる
三津峠から、三津集落、旧鹿路トンネル道までは下りの少しが登山道だが、ほとんどが舗装道だ
 
 
三津の天八王子神社は厳かで、灯篭と狛犬は見どころだ
地形図では道から離れているが、道横の斜面にある
  
  
地図を見ながら旧鹿路トンネル道に下る
村は静かで私たちの声を聞きつけた犬が遠くで吠える
  
水をためた桶は凍っていた
旧鹿路道に出て左手直ぐに鎖が張られた林道に入る

林道は痛みが出ているが、歩くに問題はない
現在地を確かめながら歩くが、尾根に続く破線の林道だが、道なりに歩けば細峠村跡に出る
 
正面に高く積まれた石垣に高く古木が生える所は、古木の下に墓か??仏像が祀られている

村中央は祠跡か二段に積まれた石積みの前には、昭和40年に廃村になった記念碑が、細峠むらの跡をのこしている

家跡には、流し台が残り、村入り口だったのだろうか、庚申の道祖神が残り、村上には田中平太郎歩兵の慰霊碑が、斜面に有る
山の斜面には江戸期から昭和までの墓石が残り今も祀られている
 
 
村に車で来れる道が完成したのは、廃村後のようだ。細峠作業道完成記念と石碑が有り平成20年と記されている
その道で、お墓や石仏が今も祀られている
 慰霊碑
一登りで細峠だ
風が無く遅い昼食だ 30分程度の休憩でした
全体に休憩は少ない
 
松尾芭蕉の時代はのどかな景色が見えたのだろう
雲雀など見たくてもない細峠だ

大峠に向かって尾根縦走だが、この尾根にもモーターバイクが通りワダチを残していた
多くが走れば道が傷みだすだろう
725mピークに向かって登るがこれが急坂だ
大峠まで尾根縦走だがテープと小さな道標が有り、何度も通った尾根だからだが、ほとんど地図は見なかった
一か所の注意地点は、四等三角点三津が乗る山頂は、鹿路集落に向かう尾根の方が踏み跡が濃くなっていた
バイクが多く通ったのかも
記憶に任さずコンパスで方向を確かめる先行のS子さん
 
バイクも大峠と三津峠分岐手前で引き返していた
三津峠、大峠分岐は小さなピークだ
 
ここから大峠までは一度通ったのみだ
先行の二人は時々はコンパスで方向を確認しているが、ショウタンはしめしめと尾根を曲がるのが見え、らくちんだ
 
面白いピークマークが有った
このマーク尾根は分岐方向注意だ

倒木で斜面を行く先が、大峠だ
 

大峠には地蔵と女坂傳稱地の石碑と地蔵が有る
尾根続きに音羽山、峠を超えれば針道から 八井内、談山神社方面に下る

(日本書紀神武天皇即位前紀戊午年九月の条に「女坂置女軍。男坂置男軍(女坂(めさか)に女軍を置き、男坂(おさか)に男軍を置く)」とあり、大峠はこのうちの女坂と考えられている。そのため峠には、昭和15年(1940年、紀元2600年際一環として)「女坂傳稱地」の碑が建てられ、現在も当地に残る。なお、男坂は、北に半坂峠と考えられ「男坂傳稱地」の石碑が建っている。
 
私たちは宮奥側に下るが案内は無い

最初は道跡も残り、幾曲がりもクネクネと道は下る
状態もよく、まあクネクネにいくつ曲がるか数えるのをわすれた

下ってゆけば、広い垰に出るが道は薄くなり、沢内を下るっ事になる
 
雨が降れば水量も増えるだろうが、今日は問題のない水量だ
100m?ばかし沢内を歩くことになるが、石は滑りは少なかった


この付近の地形図を拡大して持っていた
最初は左岸で右岸に道が有ったようだがその跡はない
少し下れば、左岸から右岸に道跡が現れた
右岸を下っていけば、耕作地跡に杉が植林され道がコンクリート舗装がされている
舗装地点に出れば、大峠トンネルの車の音が聞こえだした
 

車道に出れば直ぐが興隆寺前の凸地だ
まだ工事が行われていた
工事の方にお礼を言って帰路についた

余談だが、往路は三茶屋から宮奥と入ったが、吉野からだと、鹿路トンネル、八井内トンネル、大峠トンネル、宮奥ダムと入るほうがスムーズで走りよい
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