奥高野古道
捻草越道から七霞山
2013/12/15
二人

この写真は昭和61年の奥高野エアリアマップの一部です。
この地図の端っこに捻草越の破線道が書かれている
この道の意味を教えてくださったのは、玉川峡を守る会の森下氏でした
この尾根から七霞山に登るにはブッシュ覚悟の道だろうと思って10年今回二人で捻草越を歩いた

コースタイム
河合登山口、09:30-四等三角点、中筒香、富貴山11:11-七霞山12:05
下山
七霞山12:16-昼食20分-12:49-分岐13:11-天空の村14:00-宿り温泉14:21-車15時7分
総時間、休憩含む
6時間
12月11日に豆街道から杖ケ薮。護摩の壇、六尺道を下るコースを玉川峡を守る会の皆様に案内していただいた
その時のリーダー、森下氏に大正期から昭和初期の古地図の国土地理院地図を頂いた。
1/50000の地図だがそこに豆街道や六尺道が載っている。しかも生活道である。もちろんR371は無く宿や杖ケ薮、等は豆街道や六尺道が生活の道だった。現に豆街道の杖ケ薮近くにホンダのスーパーカブが放置されているが、あの細い道を小さな単車が通ったのだろう
又、六尺道の堀割峠から大隅平付近の田に宿りから耕うん機と登り少し大きな機械は分解して持ち上げ農作業をしたとか
出来た米は、キンバと呼ばれるソリで降ろしたという古道だ。
放置された耕うん機

又、今回歩いた捻草越道は玉川峡を守る会の資料に以下の事が書かれている

稔草とはセリ科シシウド属のトウキ(当帰)の古名で、 トウキは薬の原料で、江戸時代に各地で栽培が奨励されていた。
その中で何と大和の「大深当帰」が最高の品であつたようだ。その産地が五條市大深と高野町富貴だっ
たので五條から大深、富貴を越え高野山へ向かう道を稔草越道と名付けたようだ。


高野山を中心に奥高野は生活圏が出来上がっていて、今忘れられた古道が多く残っていそうだ。
町石道だけではなく、今世界遺産に登録された高野山の歴史の一部である古道を行政もしっかりと守ってほしいと感じる山行だった

頂いた古地図
カシミールによるガーミンの軌跡

大きな地図にリンクしています
今回の取り付きは、R371号の河合橋下40m付近から取り付いた。この位置をマピオンの力をお借りしたい
どなたかが橋正面に赤いテープでマークを打っていたが、古地図から少し下と判断して取り付きを見ると、笹の中に整備跡が見られた
丸太で道を作った跡が確認でき、少しブッシュを登ると直ぐに状態良くその道が現れた。
ブッシュはわずか10m程度、鎌など持ち合わせていれば笹を切り取ったのだが・・・
  
R371のトンネル北側の凸地に路駐して登山口に歩く
登山口にマークを打った。道標右手上3m程度に道がある。
直ぐに小道が現れるが、この部分はおそらく杣道だろうが、しばらく登ると古道が確認できる、しかも測量された道が出る

   
人が往来したであろう火の用心看板が出る。
尾根に向かったりクネクネ状態だがとにかく道なりに登った。
いつの間にか測量杭がなくなり細い道になり(タブン動物道だったかも)倒木が行く手を遮った
相棒はそのままトラバースで登ることを考えるが、ショウタンは地形から一曲がりしたルートだったと斜面を眺めた。
そこにわずかだが踏み跡を感じ折り返し登り、斜面の緩やかな所で私ならこう道を作ると考えルートを探った。
傾斜のゆるくなった斜面の植林の中に、一筋の道らしいものを感じた。
左手の檜に朽ちかけたマークが一直線を示して50m程度間隔に打たれていた。
私もこのルートにマークを付けながら登った
751m下付近の緩やかな斜面で道が消え、タブンと方向を検討付けながらピークを巻いた。
自然林と植林の境を巻き進んだ。道跡が薄い、
その先は急傾斜の谷だが、昔人は此れ位は巻き道を歩いたはずと急斜面に向かうと、相棒が3m程度下にハッキリと道を見つけた。
どこかで道を外したのだ。
道は状態良く残っていたが、やはり谷超えの部分5m程度道が抜けていたが、その向こうに道が続く
してやったり、地図を眺めるとこの先で尾根に道は出る。と読んで進むと、小さな尾根を巻進む、やはり道は尾根に出た。
この部分で道は細く成っていたが通行に問題はない(わたし的)
 ←道抜け場所 巻き道
尾根に出る
 
尾根に出た付近は富貴山22と書かれていた。タブン秋の山だろう。赤松が多い
古道は状態良く残っていた。
少し古道に沿って歩き、古道が続くことを確認して、右手上の三角点中筒香に登った
 
やはり尾根で登ると汗が吹き出す。北風が吹き顔が痛い状態だが
ここで相棒、道は良く出来ている。尾根を登ると一変にしんどいと和歌山弁でポツリ
三角点中筒香、山名、富貴山だ
  
ここからコンパスで方向を確認した
次のピークが富貴山ピークかも知れないが、三角点側に富貴山32??と書かれていた
古道と出会いが確認でき、このピークを古道は巻いている
直ぐに獅子罠が出た。道は軽四なら通れそうだが轍がない。徒歩で確認に来るのだろう
  
読図で尾根確認しながら歩く、道が分岐するところで轍が有った。
地図に載る七霞山を巻く道だ。尾根に入り山頂を目指す。テープが見られた
又、獅子罠も出る
  
ここからはテープが有るが古いものだ。
途中の尾根は少しややこしい、左とわかってもコンパスで確認した。すぐそこが七霞山だ。
反対周りならこの分岐は難しいだろう
  
山頂で記念撮影のみ、前回つけた七霞山山頂道標がまだ残っていた。嬉しいね
北に下り林道に出た。
その先で昼食だ。風が冷たい。斜面に風を避けるが相棒がソートビールを出す。
ショウタンどうぞ。わおー、美味いねー
  
北に下る↑                  林道からの取り付き、道標有り        林道
さあ下山です
測量点802mが載る尾根分岐特定は電線や鉄塔がランドマークになりますが、国土地理院、新マップ閲覧には電線が削除されました
今は旧マップが私達山愛好家の読図には欠かせません
林道途中から、高野三山や護摩の壇などが綺麗です

金剛山や五条の街も見晴らせました
  
分岐特定を二人で読図しましたが、アララ分岐道表がありこれは楽ちんでした
  
北宿に下ります
途中の道はバッチリです」。植林は間伐が進み明るいです
もしルートがややこしいと感じれば、TVケーブルに沿えばいいのですが、ケーブルは最短を通り道通りではありません
  地図に載る分岐点は見受けられません。道通り下れば分岐が出ますが地図から離れています。
間違って下ってもどちらも下れますが、右手道のほうが状態はいいです
道なりに降ろう。地図道は無視してください。ただ電線や地形から現在地はしっかりと知ろう。読図力が確かめられます
  
途中で道標が出ます。安心ですね
右コースと左コースが北宿の天空の村(現在は無住状態)手前で出会います
下る途中で田の跡が出ますが、その田の跡付近にも家があったそうです
とにかくこの尾根や隣尾根にも数件の家があったそうですが、今は跡すら分からなくなっています
 
今も人が住んでいそうな民家前を下りますが、小道はややこしいです
モノレールに準じればいいのですがこの横は降れません。
参考にその跡を見ればいいでしょう
昔左右を間違って登った分岐には今も道標はありませんでしたが、目印を打つものが無くなって打てませんでした
小さなテープが打たれていたが見えにくいです。
軽四なら登れそうな舗装路に出て下りますが厳しさが伝わる道です
途中にモノレール乗り場が有り、天空の村に時々は帰る住民がいるそうです
 
途中で南宿の民家が見えました。
昔、手で合図でもして話ができただろうと想像は楽しい
宿温泉に下った
住民が獣の骨についた肉を炊き出しそれをいろいろな料理に使う話を聞き、南宿の大隅平付近の耕作の話や古い道の話を尋ねた
自分が通った天空の道付近の岩稜が見える。本当に耕うん機があそこを通ったとは信じがたいところです
そんな小道は今もマッタケ道として使われていて、年一度の整備が有るという
国産マッタケの高価さがわかる気がした
 
宿り温泉宿泊者駐車場付近

R371を車まで歩くが、達成感が足取りを軽くした
山で育った相棒は途中見つけた山葡萄をついばんでいたが、渋いらしい
山好き達のコースとして楽しいルートだが、読図が出来ない方は、宿り七霞山ピストンをお薦めしたい
周回なら尾根で歩くと中級者以上の体力のいるコースだろう
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 「この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図200000(地図画
像)、数値地図50000(地図画像)、数値地図25000(地図画像)、数値地図250mメッシュ(標高)、
数値地図50mメッシュ(標高)及び数値地図10mメッシュ(火山標高)を使用した。
(承認番号 平24情使、 第898号)」