2006/11/25
ゴーキョから下山
「モン、ラへ向かって」 
11月25日 モン・ラMong Laに向かって

朝、寒さで目をさます。腕時計の温度計がマイナス3.5度を指していた。室内でマイナス3.5度、外の寒さは何度だろうか?ペットボトルの水が凍りつき、飲めない。トイレの手動水洗のバケツの水も凍りつき使えない。こんな時ネパールトイレはいい。台所の横で食事をするが、それでも寒い。

部屋のガラスに出来た結晶

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今日の朝食はチャパティ(フライパンで焼くナンみたいなパン)とミルクティ、手作りで時間はかかる。

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朝8時出発。この寒さも雲一つ無い天気に吹き飛んでしまう。亀さんも、下山に向かい気圧順応し元気が出てきたが、依然ビスタリー。

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ほぼ水平な緩やかな下りを、タムセルクやタンポチェピ−クを見ながらの歩くのは、疲れなど吹き飛んでしまう。

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ドゥードゥコシの谷向こうには、コナールからポルツェパンボチェへと続くカラパタールへの道が、ヒマールの山々を背に山肌に一本の線をえがく。時々荷馬やトッレッカー達が豆粒のように見える。マンシンはめざとくソレを見つけ、私たちに教えてくれた。

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10時、登りに昼食を食べたLhafaramaのトップハイロッジで茶をした。登りの時はママがいなかったが、今日はママがいる。Lhafaramaにはロッジが一軒だが、景色は抜群です。先日高山病にかかった日本人を見つけたママの機転で、人命が助かる事件が有ったらしい。ガイドの中には高山病の危険性を認識出来ない人もいるらしい。ガイド選びは慎重にしなければいけない。マンシンも去年、オシッコが出なくなった日本人がソレを言ってくれなくて、頭に水が溜まり精神異常を起こし、いち早く気づきヘリコブターでカトマンズの病院に搬送、事なきを得たという。ヘリコブターは約40万円で現金が必要ですが、カードが有れば、しっかりしたガイドはソレを上手く使ってくれる。とにかく高山病対策はユックリ歩き、水分を取り、しっかりオシッコを出す事です。

トップハイロッジのママ、ご主人は一流の登山ガイドです

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Lhafaramaを振り返る

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Lhafaramaからは急激な下り。だんだんとタムセルクが大きく見えだす。昼になってもガスが出ない、最高の天気でした。

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ポルツェテンガまでの急な下りは、疲れた足に堪える。行きに凍りついていた沢や滝は、さらに白さを増していた。

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ポルツェテンガで昼食、ここで食べたロッジはこれまた古いロッジだが、行きに泊まったホテルには、さらに下らなければいけない。食事はここにする。

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食事が出来るまで外で茶を飲んでいたが、風が強い。ホコリは尋常じゃない。ゴーキョで出会った女性が来た。マンシン通訳によると、一人が食中毒になり、ポルツェテンガに残し、一人でゴーキョに行き、ゴーキョピークに登らず引き返し、友人と下山中らしい。友人はスープのみを飲んでいた。ここはネパール、食中毒には注意が要る。
ここからモン・ラまでは階段の急登。ビスタリーと登るがこの階段の坂から見る山々は
本当に疲れを吹き飛ばす綺麗さが有る。

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タンボチェピーク

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タムセルク

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アマダブラム

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モン・ラの峠に出た。モン・ラで、往路に昼食を食べたロッジに泊まる。

モン・ラのチョルテン

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ここで、一般的なネパール人の食事の仕方だが、写真のように膝に皿を置いたり、手で持って食べたりと、テーブルがない。ただ食事の美味しいタカリ族のみが食板を持つ。旅行者やホテルはもちろんテーブルはある。

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夕食までユックリと休憩するが、このロッジのママさんは社長と22才年が離れている。私たちが行くと頭痛で苦しんでいた。私が頭痛薬をあげようと言うと、社長である旦那が、”薬は駄目だ。今店の子がえらいラマさん(坊主)を呼びに行っている。”という。悪い神さんが付いたからこれを取り除いてもらうという。マダマダこの地方はこんな調子で現代医学が通じない所がある。亀さんと、仕方がないか、悪い病気でなければ良いがと心配をした。

続く