2006/11/10
ネパール
ポカラの観光
「ポカラ観光」 

昨夜、完歩パーティー中に話が決まった。マンシンガイドで亀さんと2人でポカラを観光することになった。ショウタンは2度目だが、マンシンはショウタンの知らないところを廻るという。朝起きるとアンナプルナヒマールは美しい。テラスに出て写真を撮っていると亀さんも出てきた。亀さんも感動していたが、今日のアンナプルナヒマールは美しい。食堂に行き、亀さんと食事。マンシンとの約束は9時スタート4時まで、タクシーレンタルで1000Rs食事無しの約束だが、9時にはマンシンは来ない。亀さんに”ネパールタイムさ。1時間は遅れるさ。”予想は当たり、マンシンは10時に車でやってきた。タクシーをレンタルするタクシーレンタル車だが、ホーンが鳴らない。先ずホーン修理から始まる。

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ホーンも直った。カフン・ダンダ Kahun DandaのBat Caveに行く。コウモリ洞窟は二つあり、先ずメーンのヒンズーの神が祭られている洞窟からだ。洞窟内は電気が付いてはいるが薄暗い。それにこの時期はネパールの修学旅行シーズン、洞窟は学生で一杯だ。何故か外国の観光客は私たちだけだった。暗い足下に注意しながら入って行くと、最奥にヒンズーの神が祭られていた。1番目の洞窟はコウモリは見えなかった。

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続いて、車で5分位の洞窟に行くと、ここは人が少ない。修学旅行生が一組20人位がいるだけだ。入場料を払うと、お前は日本人かと聞いてきた。YESと答えると、何か笑顔で話しかけに来るが、ショウタンはニコニコする以外手はない。まるで英語が話せない。
ここは電球がない。ローソクと懐中電気をレンタルする。中は真っ暗、小さなライトだけではほとんど見えない。50mほど入ったところでマンシンが天井を照らした。無数のコウモリが天井に張り付いている。これが夜飛び立つところを見たいものだ。出口に向かうが、何の手入れもされていない洞窟、出口は垂直に近い穴。女子学生達がワイワイガヤガヤ、混雑しているから入り口に向かって逆走した。

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続いて、マディー川の(Mardi kohola)峡谷を見学。何故か軍隊と警官が小銃を持ってこの峡谷を守っている。入って分かったが、マディーコーラの水を発電に使う為の水路が中にあった。マディーコーラは川幅が100mは有る大河だが、ポカラの町中を通るときは幅は5m程度、深さは100mも有ろうか、そんなところを流れている。ネパールにはそんな感じの川があちこちにある。まるで滝を横にしたようだ。

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続いて、マディコーラ沿いのチベット難民キャンプに行く。チベット難民キャンプには必ず大きな仏教寺がある。ここでお参り。中には見事なゴータマブッダ(お釈迦様)が祭られていた。

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作業場では、チベット絨毯が織られていた。ここでは直接買えないが、ニューバザーのチベット村で売られている。難民達の大切な収入源だ。

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この村のチベット料理店で遅い昼食。ラーメンは不味いが焼き餃子は旨かった。この店は、難民の中では成功者だろう、リゾート型のホテルを併設していた。その中に、長期滞在の日本人二人がいた。近く登山に入ると言っていた。
ポカラの町中を通り、マンシン達グルン族の仏教寺に行く。途中でマオイストの集会が開かれていた。バスの屋根に若者達が乗り、赤旗をなびかせ道を走り回り、広場ではこれ以上ボリュームを上げられないほどの大音量で演説をしている。まるで1960年代の日本のようだ。私も若かりしころ、ハチマキ姿でジグザグ行進をして警官とにらみ合ったことなどを思いだす。遠い昔の話しだが(^_^;)

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お寺と祈りの姿

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ここからマウンテンミュージアムに行く。ここでは紹介しきれないほどの宝が有った。テンジンシェルパ、ヒラリー卿、その時写したカメラ、川口慧海、民族衣装、紹介しきれない。写真だけ紹介したい。
グルン族

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シェルパ族 プーン族 タカリ族 ラマ族 他にも沢山ありました

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初期のエベレスト登山隊のカメラ、他にもあり

n44.html へのリンククリックすると元のサイズで表示します

鎖国のチベット国に世界で初めてネパールから入り仏教を研究した人

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帰りに亀さんが、レイクサイトで自分の預金からATMでお金をおろすと言う。そんな銀行カードが有ることは知らなかった。ネパールもATMが普及しだした。
夜はホテルYADでマタマタロキシーパーティー。私はニサンとハイキングの約束をしていたが、マンシンと亀さんとキサン(弟)とでマンシンの田舎に行くことになった。ウレリ村だ。前回来たときは、マオイスト軍が制圧していて危険と言われ行くことが出来なかった。
続く