ヒバンダーラ、栂野山とミヤ谷の頭
旭川と栗平川の分水嶺
2013/05/02
ショウタン

コースタイム
下切橋7:10-尾根09:05-ヒバンダーラ、栂野山09:35-ミヤ谷の頭10:44〜11:00-三角点不動地12:02発電所14:47
車道歩き1時間半(休憩含む)
総時間、8時間10分
旭から釈迦ヶ岳に登るとき最後の集落中谷を通るが、ソノ中谷から南にミヤ谷が突き上げる
そのミヤ谷の真上がミヤ谷の頭1072mだが、中谷の村人はその名を知らなかった。
ミヤ谷とは中谷の村社の宮が尾根先にありその名が付いた物だろう
尾根に突き上げた時間的余裕もありヒバンダーラ、栂野山にもピストンで登って見た。
2011年の災害復旧で旭から中谷に入るには時間規制が有ると今回のコースを教えて頂いた山歩日記のN氏から聞いていた
8時半の規制より早く登山口に7時に着き尾根先を眺めルートを見つめた。
山歩日記ではキャンプ場の奥から取付いたようだが取り付きが分かりにくかったと書かれている
私は、下切橋の正面の階段から取付き、中谷の村社裏からバリエーションで尾根に取付いた。
  
下切橋正面の階段を登りコンクリの小道を左に取れば村社が出る。
宮の裏の急斜面を登るが問題のない斜面で、登れば古いケーブル設備が出た。ミヤ谷の頭から木を切り出した名残とか、
尾根に出ればそのころの杣道が薄くある
  
杣道を進み鞍部に下ると鉄管の取水パイプが出てそれに沿って進めば小さな掘割りが出て、そこから尾根に乗る
鉄パイプはミヤ谷へと伸びて行くようだ。
尾根に忠実に登ればいい、途中でマークが出て植林との境界をひたすら登る
途中から古い整備跡の階段が出て階段に沿って登る
尾根が広くなる頃、多くのマークが出るがひたすら登る。
コノ尾根は健脚コースだろう。登れば登る程傾斜が出る感じだ
  
階段跡 ↑                                       後少しは急傾斜↑
右手にヒバンダーラ、栂野山が見える頃新緑が鮮やかだが、この付近からの傾斜は胸突き八丁だ。
尾根まで100mは参った傾斜、途中でソマ道が東に延びる。コレに乗り大きく巻き込んで尾根に出た。
一汗流す
尾根に突き上げる所にマークが打たれていた。ヒバンダーラから来て中谷に下るにはこの分岐特定は難しいだろう
古道は尾根の南下を通っている。
とにかく尾根に準じてヒバンダーラー、栂野山に向かうが、尾根は美しい
栂野山のピークに登るにはソコソコ傾斜がある。尾根を登ると、途中からJPの鉄塔道マークが賑やかだ
栂野山には三等三角点、大砂が鎮座する。大砂は綺麗な点だ

三角点 大砂 標高 989.41
北緯34°06′13″.5576 東経 135°47′11″.2320
所在地吉野郡十津川村上野字大砂288
埋標、明治36年7月21日

  
尾根出合い↑                 栂野山へ                   ヒバンダーラ↑三角点大砂
ヒバンダーラ、栂野山から引き返しJP鉄塔管理道から古道に乗ってみたがソノ後は薄い
古道跡らしい所をミヤ谷の頭に向かうが、新緑前の尾根は美しい
5月だというのに冷気が入り手がかじかみ、A4に切り出した地図を持つ手に力が入らない
グローブを付ければいいが、それをしないショウタンだ
  
途中北側が大きく崩れている。その上から下辻山の尾根が望める
この土砂が旭川に崩れ出て、2011年の水害時に中谷前で土石ダムが出来あわや水没となったそうだが、旭ダムが放水してその圧力で土石を押し流す事に成功して中谷の水没をまぬがれたとか、村人談
小さなピークのミヤ谷の頭、慎重に地図を読み場所を特定するが、紀州わらじの会の道標が倒れ、落ち葉に埋まっていた
ミヤ谷の頭西下から高津(たこうつ)に伸びる古道が走る。山歩日記のN氏はこのルートも歩かれて高時山に行っている。私も歩きたい度が増す
  
高時山への分岐目印に↑良い木

ミヤ谷の頭北側も深層崩壊の跡が生々しい
この土石も旭川に流れ込んだのだろう。村人が言うには、土石ダムが出来ると川が上流に向かって流れたとか

ミヤ谷の頭から東に下り、1092mピークを越えると、山がズレた跡が生々しい。その透き間に足を入れると水が出て沼のようになっていたが、落ち葉がそれを隠す。オー怖い
  
                           1092mピーク登りと1092mピーク
地滑り跡が三段になっていた
南には中八人山や大峰の山々が樹間から見晴らせ、未だ春が遠そうだ
地図から見ると三角点、不動地を通り過ぎそうだ。慎重に地図を読みこの上のピークかと斜面にピンクテープが巻かれていた
古道はソノ跡すら見えない
 

大峰まんだら会がソノ痕跡を残していたピーク
  


広い細長なピークに三角点不動地が鎮座する

三等三角点、不動地 標高 1083.05 埋標 明治36年7月11日
北緯 34°06′03″.3584 東経135°48′57″.5212
所在地吉野郡十津川村旭字サワノ谷451 俗称 不動地
迫辻に向かう
不動地から旭発電所に下る尾根に向かう。小さな盛り上がり的ピーク二つ目と思いながら見事にその分岐を行過ごした
正面に思っていた地形とは違うピーク、左手に林道が出た。
アララ、悴んだ手で地図を出しよくよく眺めると行過ごしたのだろうと林道におり引き返す
迫辻の位置は此処だろうと見るがソノ跡はない。1997年10月にこの地を訪れた上田倖弘先生達はかすかな道跡を確認しているが16年の歳月は山を変えたしまったようだ
 
林道終点から間伐材が転がった植林内へ踏み込むと猪のヌタバが出て尾根中央に出ると、自然林の中に古いテープが確認できた。そこに行くと古い道の整備跡階段が出た。地図から炭波線道で有る事が想像できる。
二つ三つテープを追ってみたがモウソノ跡が消えている所に出て、尾根に向かうと又ソノ整備跡が出た
  
尾根の整備跡階段に沿ってひたすら下った
とにかく階段整備跡はもう朽ちる寸前だがソノ跡を残す。
地図の炭波線道を目視で探そうと標高を高度計から探るがソノ跡を見つける事が出来なかったが、そこを感じる部分は有った
とにかく階段に沿って下る。膝の痛めた部分が悲鳴を上げ出すがこれでもかと朽ちかけた階段が続く
  
現在地を完全に失ったが尾根は外していない
突然少し広い小道に出会った。地図を正置してみるとどうやら波線道らしい、そこに黒いテープが一巻き有った
その先で田の跡が出た。広さから想像して、数件の集落があったのだろうと想像を働かす
道成りに下ると発電所が見えた。
  
発電所横に出て、釈迦ヶ岳への車道を中谷へと向かう。途中で山菜摘みの女性と出会い、タラの芽の収穫を手伝いながら古い昔話を聞いた。
貴方が下った道は山向こうの栗平との交易の道、多くの方が通った。
今の発電所は埋め立てた物でソノ下に8軒の民家が埋まっている。瀬と呼ばれていたという
田の跡は、瀬の住民の物で神社もあった。上の迫辻で若い男女が出合い、恋に落ち二人は結婚した
瀬と栗平の住民だ。その方達は亡くなったが迫辻は恋が芽生える峠だという。
大和の三角点を尋ねての著者、上田倖弘氏は、迫辻から往時、迫村の人々が利用していた道を下る。と書き表している
十津川村に吸収されたのだろうが、瀬は迫村の字だったのだろうか
旭ダム横を歩くのは初めてだ、庚申さんらしい石仏が祀られている。先出の女性に聞けば、瀬の集落にあったがダムの水没から上に上げた物だという。
中谷に着いた。民宿を経営していた奥様に出合い、民宿の廃業を聞くが年には勝てないと言い
中谷の公民館は小学校の跡に建てたという。栂の木や瀬の子供が通ったが、今はスクールバスで二人で通うのみ
限界集落は美しいが生活の不便を嘆いた。
 
民宿前に座り込み、地図を眺め、聞いたアカギ山を地図から探し、登るのだったらとルートを組んでみた
好き者ショウタン、今日も山は楽しい
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 「この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図200000(地図画
像)、数値地図50000(地図画像)、数値地図25000(地図画像)、数値地図250mメッシュ(標高)、
数値地図50mメッシュ(標高)及び数値地図10mメッシュ(火山標高)を使用した。
(承認番号 平24情使、 第898号)」