見山、嶽山、入谷山、念火山
2016/06/02
4人

P8:20-見山9:40-嶽山10:50-嶽三郎11:42-入谷山12:30-嶽神社12:50-食事-坊峠14:13-念火山14:44-三角点東郷15:00-P16:00
総時間7時間40分
休憩含む
炉端山友会の仲間4人で宇陀市菟田野の下芳野から見山(岳山)、嶽山、入谷山(にゅうたに山)、念火山と周回した
史跡が残る菟田野地区、小さな里山も読図を楽しみながら歩くと目茶楽しい
下調べも無く、歩くと史跡や人工の洞窟(鉱石採掘後か?)途中に嶽山と書かれた偽ピーク、嶽山山頂には観音石仏があり、下れば区民の森
の桜の広場展望台は見晴らしが最高で、嶽の立石郡の嶽次郎、嶽三郎、行けなかったカトラの寝石、入谷山から嶽神社、下って念火山に登る周回で山を楽しんだ
今日も宝来の鈴さんのナビゲーションで、菟田野下芳野の廃校横広場に車を止め、林道スズ谷線を登り、見山(岳山)を目指す
今日の山名はエアリアマップを参考にしたが、見山は高田榮久氏は見山として仲西政一郎氏は岳山と記している
他の山名は高田榮久氏の赤目、倶留尊高原地図昭和61年発行を参考にした
下芳野の小学校跡は広い凸地に成り、そこに車を止めて東に歩き林道スズ谷線入る。
地図表記は破線だが、現場では車が入る林道だ
  
直ぐに谷川沿いを歩くが地形図から入り口探しに??と時間を掛けた
兎に角歩き良い林道で、古道でも有ったのだろう石仏が祭られた所が有った
 
峠まで歩いて尾根を拾い見山に行くも良いが、見た目で登り良さそうな尾根に取り付いた
途中に林道風小道が左手に出たが、これは無視をした
  
小さな谷を渡り尾根に取り付くが、のぼり始めにテープが巻かれていた。
尾根に取り付けば登り良い
ショウタンはもう少し上の尾根だろうと読んでいたが、S女は此処ではと違いを指摘した
アラ、間違った。登るには余り問題の無い付近の尾根だ
  
指摘どおりに尾根が曲がり主尾根に出る。細い尾根は登りよく登山気分が出る
すき者は居るもので、古い登山者テープが2~3個でた
山頂は問題なく登れたが、三角点は表土に隠れる寸前で、以前登ったときに土を掘って探したと言う鈴さん
周りを枝で囲んで目印にしている
  
山頂の三角点は三等点で点名は円覚寺谷で、現在標高は702.2mだが点の記は成果状態が正常でない為、点の記は閲覧できません
と成っている休点だ。鈴さんは上田倖弘氏の奈良の三角点を尋ねてから取った資料を書いている。
どなたかの山名板はエアリアマップから、とって書かれていた。
国土地理院新マップは702.2mと表記されている
見山から嶽山まではソマ道か古道分からないが道が有る。オマケに赤いテープがコマ目に打たれいた
赤いテープは道成りに打たれていたが、私達はマイルートでトラバースや尾根越えで近道で歩いた
案外コンパスで現在地を拾いよい尾根だが、少し??と考え込むルート地点も有り面白い
又、見山から少し下りこんだ所に土嚢が積まれた所に、昔の鉱石採掘後らしい穴(洞窟)が出た
  
以前金鉱脈を探したと言う洞窟跡と彫り方はそっくりで古いものだろう
奥行きはヘッデン明かりでは見えない。体の大きい私は這って入る程度だ
地形図から痩せ尾根だろうと見ていたところも只の細尾根で問題は無い
一箇所??と思う小さなピークが有ったがコンパスで方向を探る
テープの主は道を単純に歩いたようだ
測量点665m手前の660m小ピークに三人ほどの古い山名板が有り、嶽山と書かれていたが、これは間違いだろう
  
次の665ピークを特定して嶽山に向かう。
嶽山下まで小道が来ている。ソマ道ではなく昔の生活道だろうか??
  
工事用物置が出て斜面に取り付く。小屋付近で道が分かれる。地形図で古道を探ったが今ひとつ分かりにくい
嶽山に登る。途中で大峰山や薊岳が見晴らせ、アレは釈迦ヶ岳では?なんて素晴らしい見晴らしが出た
 
嶽山660mの山頂は小さな塚風の盛り土が有る。
その上に観音様だろう石仏が祭られていた。
ショウタン的に見ると下に人工石がうずまっていた。
多分塚を囲んだ石か、観音様の台石が崩れ落ちたものだろう。
  
帰って宝来の鈴さんから電話が有り、スマホで検索すると、嶽山は嶽神社の御神体だと言う。
なるほど、嶽神社は遥拝所ということらしい
嶽神社は次に紹介する
一番近い尾根からエアリアマップに書かれた破線道に出て地図表記の嶽権現に行こうとしたが、ついつい優しい尾根に引き込まれた
目的尾根はあれだと言うショウタンだが、マッいいかと悪い癖、すると急に開け展望台が出た
  
桜が植樹され正面の見晴らしはモウ最高だ額井岳(大和富士)に戒場山、香酔山に見平山、マタマタ音羽三山がモウ最高だ
エアリアマップを広げ山座を同定する
地図に載る嶽権現に行こうとまずは周回と公園内を下ると舗装路が出た。
付近尾案内は字が消えて読めない物ばかりだが、嶽次郎 嶽三郎との案内、これを行こうと頭から嶽権現が消えた
  
入ってゆくと面白い丸い岩が出た。名は無いらしい、その先で嶽次郎と案内が出た
4m程度の大岩で面白い形だ。地図を見ればその先にピークが有り行ってみたが何も無い
コース通り下ると、同じような石が三つ並んで立っていた。嶽三郎と言うらしい
 
この付近の石を総称して嶽の立岩郡と言うらしい
道なりに下ると初めて字の読める道標が出た。カラトの寝石、方面に行こうと下る
モウ歩く人が居ないのか、橋は朽ち、道は痛みマークなどは無い
道跡を探りカラトの寝石に向かうが、遠いだろうと諦めが早い。
こんな時でも引き返さないショウタンリーダーは斜面を巻いて実線道に向かった
途中で破線道に出会い、実線道の車道を歩き、入谷山に向かって最短で登る入谷山
  
双耳峰の入谷山、どちらがピークか、四等点が載る方だろうと四等点の所を入谷山ピークとした
  
下山はテープに沿った。登り良い尾根だったがピストンをしないショウタンだ
食事地点を探し車道を歩いた。鳥居らしいものが見えた。アレが嶽権現か、その前に古い地蔵と石標が有りこれが目標の道と早合点した
 
嶽権現は、嶽神社と書かれていた。
此処が御神体の遥拝所らしい。難しい字で高龗神が際神らしい(高おかみの神)
 
食事を済ませ泡茶を頂き目星をつけた入谷への分岐でコンパスを取ったが方位が合わない??
道が無かったか??と道を探った。地図では実線道だ直ぐ分かるはずとウロウロ
GPSを見た。アラ行きすごしてると入り口に下ると、良く見なければ分かりにくい入り口だった
  
道は広いが笹が生えた道。地形図どおりに道が出て朽ちた祠前から入谷に向かう
道なりに下ればいい
墓地などが出て正面が開け,正面に念火山が見えた
  
下りきった車道のところが坊峠か?
 
入谷金兵衛0.2kmと有ったが、モウ引き返す気は無い
検索をかけると、南北朝の頃南朝方の後醍醐天皇に使えた忠臣の豪族と出た
その墓が有るらしい
エアリアマップに有る道は牛牧場で登れない
ごめんなさいと空き家の裏から念火山に這い登った
  
山頂には赤い祠が有った
 
此処までに多くのほんみち教の境界杭がありここもほんみち教の山らし
三角点本郷に向かう
 
本郷には京谷先生が私に下さった点の記を書いた上田倖男先生の点名板が有り、懐かしそうに上田先生の話をする宝来の鈴女氏
 
三角点から古いテレビアンテナケーブルに沿って下山した
尾根先は降りられないだろうと谷部分を下るが、急斜面だ
道が出て車道に出た
  
芳野小学校跡に向かう
旧道らしい所を通って歩くと、常盤御前の案内が出た。
源義経の母の常盤御前は、芳野の生まれで、牛若丸の父、源の義朝が平家に破れ、母常盤御前が三人の子を連れ、竜門、吉野とふるさと芳野に逃げ延びたとか、義経幼少の頃の地だとか

念持仏が祀られた妙香寺を見てP地点に帰った
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