高野山参詣道

黒河道

市平から子継峠往復
5人
2019/10/16
ヤマレコ
 
 九度山町の道の駅、かきのさと九度山に集合した。今回の登山口は玉川峡にかかる市平橋の横で橋の下流すぐの凸地に路駐した

高野山古道を簡単に記憶にとどめ、登山、歩行参詣などに古道を歩くなら、まず張り付けたPDF資料コピーを読んで頂ければ中身の濃い高野山登山になると思います。
資料は、高野山下の、玉川峡を守る会の方々に頂いたものです
是非、玉川峡で遊ばれる場合にもお読みくだされば玉川峡の大切さもお分かりいただけると信じます

高野山参詣道資料

黒子道資料抜粋①  黒河道資料②
 高野山古道を入れ、高野の山々に登る私は、一歩ずつ高野山と言う宗教都市に魅力を感じながら登れるように成ったのは皆様のお陰と感謝しています。
歩けば登れば登るほどに、登山としても参詣としても新しいことを知る機会が増えています
ただ、語り部以下の知識で自分の楽しみ程度ですからご容赦ください
今回の登山口まで道の駅かきの里九度山から10㎞、歩くに遠く、公共交通手段は無い
車で向かえば駐車場もなく、路駐となる。
又コースもできうる限り多くとりたくて、ピストン山行にした
市平橋から市平集落までは500m、距離道標は500m毎に、道標は分岐個所に整備されている
   
市平橋は距離標は確か11番で柿平は12番、各所の距離標を記憶すればピストンなら下山時間が読みよい
市平は限界集落だが、柿の畑が有り人の往来も多い
市平の春日神社の桂の木の紅葉が綺麗で、この時期の桂の木の葉の香りが甘く漂う
桂の木の葉は落葉すれば香りは本当に良い

道標に従って柿の下を歩けば、道が分かれるがどちらも春日神社の下に出る
  
神社参詣は階段で登り、古道には左手に有った踏み跡道で下った

ここからはひたすら植林内を登る
決して整備された道ではないが、登るに問題は無い。
勝手道標ではあるが小さなジグザグや杣道分岐には道標がある
又、参詣者の行き倒れ地点だろうか、見のがすような小さな石仏や尾根越え地点に社などがある
  

一汗流せば、林道がを横切る。
この地点をビシャコ谷峠なんてよんでみた。
  
世界遺産道は、美砂子谷側だが、もう一つの黒河道と認識している。戦場山巻き道を往路に取った
途中の谷には玉川峡由来記玉川峡を守る会からに戦場畝(タオ)や操柄(くつつか)と言う表記があるとか、又、玉川峡由来記の中に書かれた大将軍峯などが特定できないかと戦場山コースをとった。
正式道標ではないが、古道案内が黒河道として有り、道標に従えば水が湧き出る田の跡の谷に出る
この何処かを操柄とか戦場畝と読んだのだろう
畝の字は、日本人なら畑の畝を思うだろうが、中国の面積単位なら谷全体を言うのかもしれない
戦が有ったように見えないが、時代が時代だ
谷の上部に小さな池が有り、流れ込む川もないが、いつも水が満々とあるところから、水が湧き出る谷だろうか
  
登り切った峠から戦場山 山頂まで標高差30m、私以外の皆さんがピークを踏んだ
見晴らしもないが三等三角点、河根が有る。標高650.04 所在地 和歌山県伊都郡九度山町北又415 個人所有

峠から北又の元久保小学校に下るが道の整備は無く倒木が多い
途中から雪池山が見張らせる。遠いと感じる高さだ
 
帰路のビシャコ谷分岐が出れば、久保小学校はすぐだが、小学校は廃校になったらしく、くどやま森の童話館となっていた
休憩設備としても使用を許しているのか、カギは無かった。Wi-Fiも有るようだ。
  

この学校に出る車道の横に石仏が有る
小さな石仏だが、右 かうや 左 にまんと道案内が有るところから、高野山道としては一般参詣者は雪池山に取ったのだろうか
にまん、の意味は知らないが、仏谷、黒河村、平村コースは余りにも急傾斜で、村人が利用した高野参詣道ではと感じてします
今回は倒木で通行不可の案内がった
 
学校裏から雪池山に向かう
道はルンルン、今も花木取などにバイクが入っている(遊びではない作業のため)
感じの良い古道だがだんだんと傾斜が増してゆく
  
途中に小屋が現れる
これがおめん茶屋跡で中に石仏が有るという
  
一汗流しながら山裾を登ってゆく
右手が尾根になるその上に、氷豆腐製造屋敷跡がある
帰路に尾根を下りそれを見ることにする

岩と感じるほどでもないが、大黒岩などが出てクネット登りきったところから帰路の尾根に入るが、写真の道標が出るところまで登り雪池山に登る
  
×印側は奥高野マップには登山道を書くコースだが(東郷丹生神社に下る)少しややこしい道だ
勝手道標から尾根に乗れば、雪池山は近い。踏み跡も濃く、途中に四等三角点、雪池山が有る
  

最後の急傾斜を登り切れば、若手組の女性たちが笑顔で迎えてくれた
山頂で食事を楽しむ。記念写真は笑顔認識で写せば笑顔が満開だ

この山の読みは、ゆきいけやま、とか、せっちさんとかややこしいが、もう一つの名前銅岳、あかかねだけは知る人は少ない
山裾に銅鉱山が有った
女人道方向に下る
このくだり込みのコルが、元来の峠で黒川峠と古文書には出るが、読みは知らない。
下のひうら坂から登る道が有ったとか、これも探索の記事をいただいている

 
 日うら道古道探索記録
記録:井奥
参加者 暖かく、楊柳山付近でも7℃
参考資料として、下記に和歌山県教育委員会作成の学術調査報告書より一部抜粋転載しています。 参考資料
赤色ルートは2015年12月28日に歩いた道
黄色ルートはひうら坂古道ルート
青色ルートは2015年5月20日に歩いた道
合流する右手の谷を、日うら坂古道へ入る 左側斜面に道跡があるが、すぐに消え川を渡る
2015/12/28 歩行距離 7.97キロ 所要時間 5時間25分
出発時間 10時08分 到着時間 15時33分
調査日 2015年12月28日(月) 森下、野中、粟屋、城戸、井奥 晴れ 気温11℃
←日うら坂は入り口付近は道が有るが、すぐ に無くなり、登る谷を間違え、かなり奥で谷を 登り、古道に出た。古道は等高線に沿った平 坦な道で、斜面上部は自然林、下部はヒノキ の植林地になっている境目に道が続き、快適 に歩けた。その後道が消え、谷の分岐で右に 取り対岸の斜面を登るべきところを道が不明 なため、尾根が見えたこともあり、最後はミヤ コザサの生い茂る急斜面を無理矢理よじ登り 尾根に出た。但し黒川峠の日うら坂古道跡と は10メートル程度の誤差であった。
黒河道の姿  久保の道標を右手にとり雪池山の西側を上り粉撞 峠すなわち大和口へ出る道には、久保を過ぎて茶堂 (おめん茶屋)があった。 現在、その遺跡が残って おり、お堂にあった弘法大師像や不動明王像は現在 もある。参詣人を受け入れる茶屋と大師像などの存 在は、粉撞峠の地蔵尊の存在と共にこの道が高野参 詣道であることを証明していると見てよい。  したがって、高野山側からは黒河 道として捉えら れている道は、仏谷や黒河村から楊柳山の東(右)の峠に出る道という認識が強いにしても、雪池山(銅 岳)を西(東 江村)から見た絵図(元禄年間作成) や九度山町史などでは、そのようなルートにはなっ ていないことがわかる。  すなわち、黒河か ら平を経由するのではなく、実 際には急峻な坂道を上らなければならない平村を避 けて、黒河村を過ぎて西(右)へ山道を取り、雪 池 山(銅岳)の東にある「ひうら坂」を経て黒河峠か ら粉撞峠で久保からの道と合流して千手院口へ入っ ていたのである(この黒河 峠は、高野山側からは楊 柳山の北側になるので見えない)。黒河道は、黒河 村を経由する道と粉撞峠・大和口で久保村からの道 と 合流する道として認識されていたのである。これ は、『紀伊国名所図会』の説明でもある
午前9時橋本駅 10時銅鉱山跡 10時8分出発 10時54分愛染寺跡  11時3分林道終点 11時11分日うら道入り口の谷へ入る 11時26分 登るべき谷筋を誤り通過 11時39分右側の谷筋を登る 11時54分 日うら道へ出る(標高734m) 12時35分 841m付近の谷、ここよりミヤコザサに覆われた急な斜面を登る 13時3分 黒川峠付近の尾根道へ出る 13時19分 昼食 13時40分 出発 13時52分 楊柳山 14時13分 黒河峠 14時40分 平集落跡 15時林道終点630m 15時33分 出発地点へ戻る
高野山結界道、不動坂、黒河道、三谷坂及び関連文化財学術調査報告書 2012年 和歌山県教育委員会
出発地より仏谷に沿って林道を歩く。林道が 終わる手前の対岸に、ウラジロガシやヤブツ バキの古木がある平坦地があり階段跡など から愛染寺跡と思われる。
コースの記録
女人道から子継ぎ峠に下り、豆腐屋の尾根に向かう
子継峠から道標に従って帰路に就く
 
参考
子継峠は多くの字で表されている。
粉撞峠、粉突峠 香舂峠等の表記が有るという

子継峠から帰路に着けば雪池山の分岐標識がある
元来の登山道だ
これを見やり、私たちが取りついた標識から下って、尾根に下ってゆくが道標やマークなかった
 

尾根に入るところに唯一境界杭が有るが、決して踏み跡は歩きよくない
尾根入り口

尾根中央を境界杭か測量杭に沿って下れば、貯水槽が出る
灯篭や墓石を錘に使ったのか尾根に並べられ、その先に石臼が有る
よくこんなところで作れたものだ
  

尾根中央を下れば左手に鉄塔が出る
今日唯一の見晴らしだ
鍋谷峠や高野口、嵯峨谷の峰等々が見える
  

尾根中央を下れば黒河道に出るが、左に寄りすぎると怖い話だ。
おめん茶屋に出て、久保小学校跡前の石仏祠から(美砂子谷)ビシャコ谷に下る
  

ビシャコ谷くだりには案内は無いがテープが巻かれている
すぐに蔵などが有る廃屋が出て、左手の細い踏み跡に入れば小池が出て、くねくねと道が続く
  

整備はボランティアか、途中の巨木は放置されている
ワイルドな橋を渡れば、ススキが生えこみアララと畦道を登る
田の中の巨石に祠が乗る姿は古の影が見える
  

 ススキの中を突破すれば、太閤坂と言う小坂を登り切れば、ビシャコ峠に出る
クマ出没注意とある
  

ヘッデンタイムが近い
往路をノーヘッデンで下る
石車に注意しながら下ればキチキチ市平に出た
 
ここからは500mの舗装道、女性は携帯のランプアプリで道を照らし、その後についた

面白いかったが、もう少し時間に余裕が欲しいところだ
終わりも、満面の笑顔で終われ、今日も楽しく帰路に就いた
 
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