妹山、背の山、と北山
2012/09/05
ショウタン

国土地理院マップにリンクします
コースタイム
P10:10-祠11:05-北山12:35
下山
北山12:40-愛宕池公園13:45-P14:15
総時間4時間5分小休止のみ
和歌山の紀ノ川の喉元と言える川幅が一番狭くなった所に、舟岡山(へび島)と呼ばれる厳島神社が祀られた島がある
この南に北山と呼ばれる586.7mの里山があり、周囲が柑橘農園で登山ルート設定が難しく、永らあそこが北山と見上げるばかりだった
夏は不向きな里山だろうが、エーイ行っちゃえと、行動に移したが、ヒドイ藪山で、ルートは失敗だった
北山に綺麗に登るには、西渋田からこの道利用が良いか、とかき込んだルートピストンか、麻生津峠に出て、飯盛山や龍門山まで縦走が良いのではと考えるルートだった
又、この地は、万葉集に出る歌の妹山 背の山の地でもあり、北山下山後、舟岡山と、背の山を探索してみた
背の山の三角点名が、鉢伏山と成っている事に疑問を感じ、地元民に尋ねた所、この方は万葉集に詳しい、紀州語り部さんで、詳しい資料と、思いもよらない山名を聞く事になった。
  
舟岡山↑                      道横の道標                 取付き
舟岡山駐車場に車を停め、地元の方の案内道標に従って、先ず妹山を目指す

                 長者屋敷跡か↑              妹山山頂↑            見晴し↑
この付近は和歌山の種なし柿の生産地で立派な柿農園が多い。
適当に畑道などを通り、妹山に行ってみるが、柿畑の中、何処が山頂やら、2ヶ所から登ってみたが、アラ??何もない
タダ、後で聞いたが、この付近に長者屋敷あって、昔は妹山と呼んでいなかったとか、??
ここから北山までの尾根中央の波線道を登ろうとするが、新しい道や農道で現在地が分かりにくい
絶対変わらない池を掴み、此処だろう道を登ると、柿畑奥に出るが、そこから先は廃農園、モウ知らないのブッシュをかき分け、目視で四等点西渋田のある尾根に登る。アレ、コンパスがない、ますますイイカゲン登山だ
目標の、電話塔に出る。地図を正置して、とにかく尾根を掴む
電波塔付近は桜の植樹があり立派な石の祠があった


電話塔を目視で見る↑          こんなブッシュ↑        桜並木↑             祠↑
三角点、西渋田は簡単に見つかった。そこからは舗装の小道だが途中から尾根にはいるが、これが参ったブッシュ
しかし、小道跡が有った。途中で廃農園が出たり、桜の広場だった所に出る。
そこまでは、マア良い方だ、そこから又ブッシュに捕まり、何とか登ると、柿農園横に出て、エーイと登ると写真の林道が出た
  
三角点西渋田からしばらくは道がよいが↑
北緯
東経
標高(m)
所在地 伊都郡かつらぎ町大字西渋田字852番地206 先

 
手入れがない桜広場跡↑          ここからブッシュに飛び込んだ
  

途中で小道が出て↑      畑横を通り↑              ここからは普通の里山だった↑
後で分かるが、西渋田の集落から、上右端写真の所まで農道や林道でこれるだろう

ここからは、普通の里山で一汗流す傾斜だ

林道を登ると、尾根先が出て、直登で汗を流す
すると、測量された道が出て、とにかく道に沿った。P485m下で、このまま道通り進とピークには行かないと判断して、広い垰状の谷を三角点の有るピークに向かって登った。
三角点は痛みが激しいが、大きな保護石に守られている

 
三等三角点 北山
北緯
東経
標高(m)
所在地 和歌山県那賀郡那賀町大字麻生津中395
下山は、素直に尾根を下り、P485m南のタオにテープが一巻き、これは西にルートがあるのだろうと地図を見ると、ナルホド下に林道が有る。これに出るのだろうと急傾斜を下るが、これ又運が良かっただけの下山コース、取り水後や、古道らしい所、放棄寸前の柿畑、そこに続くモノレール」、何とか下れたが、マア、お奨めできない
   
尾根を下り            この様子に釣られ↑                           取り水跡から↑
  
古道跡↑に出て            柿畑内を        モノレールに沿った
 
地図を見るより、景色と感で、愛宕公園横に出て、車道をテクテク、汗はボトボト、元の小道に出て、駐車場に帰った
ヤレヤレ、
で永らく気になっていた舟岡山に厳島橋を渡るが、万葉週歌碑と、厳島神社が有り、これと言った興味深い物はない
 

 
タダ、万葉集に興味が有れば、この地は非常に面白いだろう

妹に恋ひ 我が越え行けば 背の山の 妹に恋ひずて 有るがともしさ
此処はさりとて見る所もないが、島その物は自然で美しい
珍しい植物があるようだが、私には分からない。タダ昭和の時代に、狭かった川幅を広め、吊り橋の厳島橋を架けたとか、又此処で紀ノ川が堰き止められ、上流は湖だったと想像する万葉集ファンがいる
見るからに此処を堰き止めれば、巨大な湖が出来るだろう。現実に島南側の川幅が拡幅されない時は、上流部が度々水害に有ったとか、又この島までを、畿内としていたとか、北の妹背山を越えて、マダ見ぬ海や、熊野、高野への道はロマンあふれる物だったのだろう
古代の姿をカシミールで検証してみた




注 右岸の、鉢伏山、城山を 妹と背とした説が有望視されていると、語り部が言う
ハイキング案内に、背の山二峰、城山 鉢伏山と有り、山頂看板は 背の山 背山と有り、面白い
現在地図は、川を挟んで 妹山 背の山と成っているが、背の山の三角点の点名は、鉢伏山となっている
背の山二峰に続く
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