持経宿小屋、平治宿小屋、点検に参加して



玉岡憲明書
大峯奥駈道は釈迦ヶ岳肩に有る大日岳下の前鬼との分岐、太古の辻から南45km間を南奥駈道と呼ばれている。明治以来途絶えていた笹に覆われた古道を復活しようと立ち上がったのが、昭和59年、奥駈葉衣会代表、故前田勇一氏で、道半ばで病に倒れた。

その意思を受け継いで南奥駈道の再興を成し遂げたのが新宮山彦ぐるーぷだ。
千回以上山に通い、今は夢のように消えたスズ竹と戦い道を復活させた
その代表が玉岡憲明氏で多くの仲間がその遺志を受け継ぎ、二代目代表は、川島功氏です
縁あって、知り合った新宮山彦ぐるーぷに入会して久しい私だが、ここ一年ばかり行事に参加していなかった
その、南奥駈道に第一号の小屋を建設したのが奥駈葉衣会で持経宿小屋だ。40年がたち痛みが目立っていた
前田勇一氏の意思を受け継いだ新宮山彦ぐるーぷの手で補修を続けていたが、平成27に大改修を行った
会員や多くの方達のご寄付による改修で、見違える小屋となっている


今回、春の連休に備え小屋点検と取り付き道点検を行った
今までなかった明かりにソーラー電気が備えられ、非常時に役立つであろう携帯の充電装備が補充されている
囲炉裏は一つ残され、暖房として薪ストーブが備え付けられている
ロケットストーブで薪は一番下からたきつける熱効率の良いものだ(自作)
又この先何十年も修験者や登山者に、又日帰りで山の雰囲気を味わう所として利用していただきたい
小屋管理料として一泊1人2000以上のご寄付をいただきたい

小屋の中に写真の板が取り付けられている

これは太古の辻にあったものだが今回小屋補修に合わせ29年ぶりに新しいものと取り替えた

この「これより南奥駈道」の道標は、長く藪に覆われていた南奥駈道(本宮〜太古の辻間45km)の再興を昭和59年、奥駈葉衣会代表 前田勇一氏から引き継いだ新宮山彦グループがここ持経宿を基地として、三年越しの刈峰行完結を記念し、また、修験者、登山者の足を南に向けてもらうために昭和61年10月27日太古の辻に設置したものである。
 約29年間、太古の辻にあったが、月日の経過と風雪により老巧も目立つ事から、平成27年9月17日二代目記念導標に更新した。
当時の代表、玉岡憲明(としあき)氏他、先輩諸氏の「熱い思い」「熱い願い」を長く伝えるため役目を終えたこの道標を、ここ持経宿に保存するものである。
この道標の字体は、玉岡憲明氏夫人、故玉岡節子氏の筆によるものである

レリーフは玉岡憲明氏の手による

平治宿小屋
 
平治宿小屋は、三つの小屋の中で一番小さいが、利用率は高く主に登山者の利用が多いようだ
水場は5分の所にあるが、ナカナカ険路だ。小さな水場だが湧き水は美味しい
この小屋は雨露をしのぐ程度まで痛んでいたものを、新宮山彦ぐるーぷが補修して完成させたものだ

中にはロケットストーブと携帯充電装置、ソーラー電気が新しく追加された
非常用に数枚の毛布も設置されているが、基本は寝袋持参で利用されたい
管理料は同じく一人2000円以上のご寄付をお願いしたい

ロケットストーブは、小さなもので一番下の焚口から燃やすものです
焚口も小さいが熱効率は良い

この小屋の薪は貴重で、背負子で運びあげるものが多く大切に燃して下さい
トイレは、別棟にあり手流し水洗です

持経宿と平治宿小屋間の時間は平均約一時間です。
又、痛みが目立ち始めた深山宿小屋も修復を手がけている
以前経験した話だが、小屋が満員です。泊まれませんと言われた事が有ります
全ての山小屋は非常の際の避難小屋も意味しています
如何に狭くなっても詰め合わせてご利用下さい

新宮山彦ぐるーぷでは、ホームページを通じ、奥駈道の情報や周辺の情報を知りうる限り流しています
どうぞご利用下さい

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