干支の山
亥ヶ谷山
2019/12/24
二人 
 
明治道(ヒヨ山コース)08:30-タノヒラ峠09:50-ヒヨ山10:20-亥ヶ谷山11:40
登り3時間10分

亥ヶ谷山12:40-25号鉄塔13:41-管理道登山口14:21-P14:55
下山
2時間15分
行動総時間5時間25分、山頂60分途中適宜休憩

ヤマレコ
亥ヶ谷山に行きそびれ、どのような山かと検索すれば、亥の字かついた山は亥ヶ谷山のみとでた
年が明ければ、子の字が付く山は子の泊山のみと言う
干支の最後と最初が、全国で干支の字が付いた山は一山だけ
こりゃー行かなくちゃとラインに書き込めば一人が手を挙げた
和歌山市からは遠いと言うが、京奈和道やR169号が整備が進み休憩を入れても3時間15分、鈴鹿や兵庫県の山々よりも近い
パソコン検索ではいとも簡単に登れる山のように書かれているが、道標やマークが無ければ、下山においては鉄塔管理道が無ければ、私の力では一泡も二泡もふかされる時間がかかる山だった。
先人に感謝のコースだ
 駐車場は検索から皆様が止められた広い空き地に止めた。黙認状態の個人所有地のようだ
準備をして8時30分スタート、登山口は西に100m足らずの写真の位置だ
 
下山後、とち餅を作られてる里人に登山道を聞けば、明治道と言う
聞けば山越えの三木里に行く明治の新道だと言う。
山越え道が無いころは、海岸を回ったそうで、山越えは整備が無ければ危険だったのだろう
今は、ヒヨ山コースと言うのが一般らしい

谷川沿いを登るが踏み跡が薄く??、適当に尾根に乗ってゆけばテープが見えて、それでも踏み跡が薄く、とりあえず山頂をコンパスで探る

 
尾根に乗ればテープと踏み跡、道だったらしい階段跡が出て、だんだんとマークや道標が出だし道が分かりだした

パソコン検索の道は直登ではなく回り込んでいる
登ってゆけば、そのわけが分かりだした
山肌は、大きな花崗岩がゴロゴロと出だした
 
読図で登れば近そうなコースも描けたが、これは時間がかかるだろう。
帰宅時間を考えれば今日は、皆様コースで登るがいいと二人の意見が合った
 
  
トラバースで道が現れ凹部の谷をトラバースで越え登って行けば、だんだんとマークや案内が増えだした
 
朽ちかけたタノヒラ峠の道標を見つけ、現在地を探り551mのヒヨ山に再び急傾斜を登る
尾根に突き上げれば、ヒヨ山、ひよの山と書かれた山名板が出た
、ここまでは明治道だろう。
地形図を探れば三木里への道が見えてくる
近場の山好き達は三木里からも登られていることが想像できる
朽ちた看板や落ちている道標を埋もれないように朽ちないようにと直して先人に感謝だ
 
タノヒラ峠から、地図に示したTVアンテナ跡までテレビケーブルが道案内をしてくれる
尾根は、何故かわからないが、まん丸い花崗岩が乗り不思議な山だが、ショウタンの知識からしては、大きなU 字谷が神代の昔に有り、ゴロゴロと転がされ、角が取れた石が地殻変動で尾根に持ち上げられたものではと、考えてしまう
 
緩やかな傾斜の尾根だが、途中で小岩のピークが出て、古いロープが補助されていた
登るにたやすいが油断はしない
 
ロープ補助の小岩越え、少し険路だ
 小岩を超え少し先でTVアンテナが出た
朽ちているところから、使われていないようだ

ここから少し険路に成れば二つ目のTVアンテナが出る
特別難しいルートではないが、マークや標識が無ければ読図ではこの先が分からず、険路を余儀なくされるだろうと地図を読むが、マークや道標に従いながら尾根を歩く
時には方向を探しながら歩く
最後のピークでいったんコルに下り登り返す
ここで鉄塔道に入りこまないようにだろうか、厳重にコースにテープが張られているが、三木里の道標もある
目の良い相棒さんが、鉄塔道標が有ると目ざとく見つけた
  
小さな小岩ピークに梯子がかかっている
これを超えれば鉄塔が有る山頂だろう
梯子を登り切れば、鉄塔が見えた
山頂だ
 
 鉄塔手前に二等三角点、石ヶ塔が有るが、亥の字の山に興味があり、三角点について書かれtページは無かった
余りにもさみしく、良いのか悪いのか分からないが、点名を書記した
 
点名は手前の鉄階段の岩場が石ヶ塔と呼ばれたものから取ったのかと勝手な想像だ
点の記を少し書こう

選点 明治34年8月12日
北緯33°59′17″.3390 東経136°10′21″.2231 標高688.54

 山頂で1時間も山座同定や景色を楽しみ賀田湾やあれがゲジョ山かなどとワイワイ
 
下山は管理道だ。ルンルンだろうと雑木のトンネルを超えると、アララ、管理道としては非常に整備されてはいるが、急傾斜の険路だ
 
下れば下るほどに険路となり、道はマークや鉄塔道標でわかりよいが、もし地図だけで下るのならば、相当苦労するコース取りだろう
マークや鉄塔道標様様だ
 
プラスチック階段も木の根の間にうまく作られている
足の負担が少ない
 
あそこではここではとルートを探しながら下る。
ショウタンは慎重だ
途中で真新しい太いロープが補助されている
山頂に地元小学校の生徒が5~6人登られた記念木碑が有った
多分だが、その小学生のために先生か親たちが張った物だろう

途中で尾根ではなく谷に下る
??と地図を見るが、右手の斜面がゴロ石帯だ
整備階段を下れば、古いロープと道標、テープが岩先に誘う
地図を見れば、谷は下れない
道標に沿ったが、小学生ならチョットしたクライミングだろう
良い経験をさせていただいた小学生たちを思ったが、危険は親たちも思ったことは確かだろう

地図の位置
 

真新しいロープが50mほど張られている
小学生のためだろうと確信した
 

急傾斜や平たん路、植林内と下れば25号鉄塔が出て、現在地を確認した
休憩もなく、ゆっくりと確実に足を運んだ
 
まだまだ険路だ
巨石の積み重なりは正月の重ね餅のようで、よくぞと思う巨石にへばりつく巨木
 
最後の鉄塔道標が出れば林道はすぐそこだ
 
 登山口には私有林である事が書かれている
ごくごく当たり前のことが、登山者の常識だ

又、小学生たちがこの厳しいコースを往復したことが分かる道標が設置されていた
 
後は林道を下り、明治道のヒヨ山登山口に向かう
途中に関口流の看板が出るが、古武道の流派道場が有るとか

関口流は古武道の流派で和歌山の徳川家庇護の武術でした。現在も和歌山でその流派が守られている。
 
途中で景色を楽しみ、里人と語れば、賀田の里の豊かさが見える一日だった
 
 
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