奥高野古道を訪ねて
尾塚と城本山
2016/06/27
単独

コースタイム アバウトです
杖ヶ薮長中学校跡 09:00-東又09:30〜09:50-尾塚12:07-鐘割峠12:25-城本山13:28

城本山13:45-鐘割峠14:30-樫原神社15:45-廃校杖ヶ薮小中学校16:25
休憩含むが少ない休息
総時間7時間25分

注 文中の小安は現在は子安と言う
高野山は1200年の歴史を持つ古都だが、その高野山周辺に開かれた村は多く、高野20000人の僧兵を養う源だったのだろう
近代では、塔婆や位牌、高野槙の生産とか高野豆腐の生産にと村は開けたり、漢方薬の原料生産と村々は栄え賑わっていたのだろう
そんな高野山の古道に興味を待ったのは久しいが、世界遺産に登録されない古道は寂れる一方で、村は成り立たず廃村手前の東又、樫野を周回してみた
このコースは、面白いだろうと思っていたが、炉端山友会、副会長から高野山、明治測量、大正二年編集の帝国陸軍測量部、1/50000の地図を頂き、スワー、これは行かなくちゃと、梅雨の晴れ間に高野山に向かった


必要部分をコピーして拡大、取り付いた文マークの学校は比較的新しい杖ヶ薮小中学校(廃校)で、東又の神社、尾峰から金割峠に出て樫原に下り神社と学校跡を見て周回する計画だ。
路は当時の表し方では、聯路(レンロ)で2m程度のもの荷車程度は通れたかもの古道だ
当時の生活道は、間路、聯路 達路 と道幅によって書かれ方が違っていたようだ
参考資料を載せよう
目的の路は聯路で2m程度有った生活道だ、今も残っていると安易に考えていた
駐車点の凸地に車を置いて東又に向かう。
後での話しだが、こんな所に車を置く意味が分からず、付近では噂になっていたようだ
登山者など先ずいないのだろうか
入り口には廃校に成った杖ヶ薮小学校がある
  
入り口の民家上を東に向かって登ってゆく
道は綺麗な舗装路だが、わだちは薄く通る方は少ないようだ
途中にこの付近独特な地蔵ではなく、弘法大使の石像の祠が有る
 
道どおり登れば車道は行き止まりその横から古道らしいものが山に延びる
  古道入り口
東又の住民を尋ねる事にした

一番綺麗な庭が住人が住む家だろうと見当を付けて家に行くと、老人がいた
話すと、東又に住む方で84歳、元気そうな方だ
色々と訪ねたが山名は余り知らず、樫原の学校跡の事も知らなかった

84歳の方は、杖ヶ薮集落に有った学校に通ったが、その後地区の中心に学校を移転した
それが、取り付きの杖ヶ薮小中学校で、84歳の方は杖ヶ薮にあった学校に通い、そこには通っていない
樫原の学校跡の事をたずねると、それは知らないとの返事
多分だが、明治の寺子屋風学校が有ったのかも
兎に角大正五年の地図には載っている
(下山時、樫原や小安の方に尋ねたが学校の事は知らないとの事だった)  
先ずは古地図に載る神社を探すが、道は地形図とは違っていた
先ず、コースは一番状態の良い道を登ってゆけば、古道通りに尾塚から弘法の道に出れるだろうが、地形図に拘ればその道は地形図とは違う
村中の道を行ったり来たり。此処でもない何処だどこだとうろついた
神社とお寺は見つかり、そこから道は此処だろうとブッシュをこいで古道を探した
どうやら、道ルートは変わったようだ
  

  

古道に乗ると道はわかりよい
(この付近のウロウロは時間がかかった。此処だろう?家マークは此処ではない。等と地図を見たが??時間がかかった)
  
鳥居が出ればその上に神社、下に寺がある
古道は多分だが↓

古道は、この状態の道を登りフミマロと書かれた土地問題の看板が有る下を登れば出るように思う
その場合、神社と寺は通り過ごす。

  
古道をつかめば、植林内は立派に道が残っている。
道どおり登れば良い。
登れば808mピークが読み取れる地形が出る
拾いタワ状の所の上だ。

此処でよくよく地図を見てコンパスを合わすべきだった。
睡眠不足の疲れもありテープが出たのでその小道に入ってしまった。
 
現在地形図は尾根上に破線があるがこれを無視してしまった
テープ道は境界測量のようで、気が付いたときはモット急斜面を尾根に出なくては成らなくなり、エーイと進んだが、谷が崩れ通行不可に成り仕方なく尾根に這い登った。(植林内)
尾根には道は無いが状態はよく尾塚ピークに出た
  
尾塚には四等三角点、樫原がある
点の記は
標高923.18 北緯135°38′53″.1041 東経34°13′24″.1048 
所在地和歌山県伊都郡高野町東又東垣内137番地5号
選点 平成九年六月十二日 設置 平成九年七月四日
最新測量 平成十六年九月十四日

三角点ハンターのセキト氏が点名を残していた。
この方と一度コージツ山荘でお会いしたが、点名のセキト氏と気づかず詳しい話をしなかった事を悔やんでいる
コンパスを合わせ鐘割峠に向かう
  
途中で、古地図の聯路に出合い鐘割峠に出る
鐘割峠には廃車が置かれている。予定では的場山から天狗木峠に、体力が有れば一等点の陣ヶ峰へと思っていたが、下り側の城本山に向かった。登りがモウつらかった。引き返しが登りに成るとは思わずに。馬鹿なショウタンだ

   
城本山には林道を歩き尾根に入るが、ショウタンは極力弘法大使高野発見の道から取り付いた
地図を参照して下さい
  
分かりよいのはピストン形式で城本山に登るほうが分かりよいだろう
 
山頂で遅い昼食を楽しんだ

三等三角点 点名(基準点名)才子峠 
標高 938.53北緯 34°13′28″.8189 東経 135°40′03″.0032
所在地 和歌山県伊都郡高野町下筒香字ヲキ浦521番地
選点 明治36年4月24日
尾根道は常態も良く、kouboトレイルなんてマークが多くあり牛のタワ、鐘割峠へと出る
  
鐘割峠から二段の道が北に伸びる。
下側の広い林道風を下れば樫原だ。ルンルンと思っていた
  
所がだんだんと状態が悪くなり、聯路跡が残る常態になったころ、道は抜け小石がゴロゴロ、少し足を痛めている慎重に下った
  
この聯路道は石垣などが少し残っているが、林業者も通っていないようで、痛みがひどい
道ぬけは慎重に通れば問題は少ないだろうが危険度はある
等々、幅2m深さ2m程度のチムニー状態の谷越えが出た
青石と呼ばれる緑色片岩だ。通常なら登り良い岩質だが小さくハングしていた。
下巻きをしようと下ったが、アララ滑ってしまった。
ストックで止めにかかったが、見事に滑りストックが曲がり止った。ふー

斜面の滑りがトラウマになり、チムニーを登り、登り返し、越え易そうな所から乗り越えようとしたが、これが下手くそでモー必死の形相だった
今反省するに、下側沢に下り常態の良い所を登り帰せばよかったが、沢も直ぐ下に小滝があり状態はよくなかった。
コース最大の難所だった。なんて・・・
兎に角道跡を下ると石積みが出た。
畑跡だろう。下を見ると新しい物置が出た。電線もある
下りよい所をそこに向かった。
地図からは道は探れなかったが、石積みの聯路がそうだろうと下ると神社が出た
  
  
神社前は広い舗装広場で横に山林用のモノレールがあった
途中これを越えてきた

明治地図とあわせて略現在地を掴んだ
明治地図には隣が学校マーク、その横に少し広い棚があった
点の記は民家内に四等三角点、西尾が有る筈だがそれを見つける気がしないほど疲れた下山だった
神社から舗装路を下る。
小安地区分岐から小安、平原への古道探索は諦めて、廃校杖ヶ薮小中学校に下った
途中で軽四輪が登ってきた。老人施設の車だ。老人が二人乗っていたので学校跡や付近を訪ねた
鐘割峠に出る道は、野迫川村に行く道でも有ったが、主に野迫川の立理荒神社への参道として開けたそうだ
今も、小安から高野の桜峠まで林道が走る。
又、古地図には小安から弘法の道まで直登で道が書かれている。
これを又歩いてみたい
  
車道横には道祖神が祭られ信心の深さが見える
今は、焼き物工房に成った杖ヶ薮小中学校、生徒の声が聞こえるような気がしてきた
 
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